救急救命士と社会福祉士は似ていた
川崎の老人ホームSアミーユで殺人事件がおきました。
この容疑者は「救急救命士」という資格を所持している人物です。
なのに、介護の仕事をしていたのは、消防官への就職に失敗したからです。
救命救急士の資格を取得には、実務経験ルートと、専門学校などで必要単位を取得する制度の2つがあります。
実務経験ルートでは、最初に消防官採用試験に合格し、実際の救急車に乗車しながら実務経験を積んで、研修と養成校などを経て受験するルートです。
資格がなくても、救急隊員にはなれますので、まずは採用試験に合格することが必要です。
これに対して、専門学校ルートは、実務なしで必要単位を取得・卒業し、受験資格を得ます。あとは国家試験に合格すれば資格を得られます。
救命士の就職先としては、ほとんどが消防です。地方公務員なので収入が安定していて人気です。
というか、救命士としての実務経験は、実際には救急車に乗車することによって得るものですから当然といえば当然です。
就職先には、自衛隊にも一部枠があるようですが、専門学校で、資格を得た場合は、結局、公的機関の採用試験に合格することが課題となります。
合格しないと、就職するという意味では、なかなか仕事がないということになっています。
で、今回の事件の容疑者は、専門学校で資格を取得した人物だったのです。
やはり消防官志望だったようですが、願いは叶わず、妥協のすえ介護職になっていたのです。
事件を起こした動機に関しては、いろいろ報道されていますが、大きな要因の一つは、待遇面と劣悪な勤務形態への不満です。
「せっかく勉強してきたことが活かせない」
そんな挫折感もあったでしょう。
でも、これってどこかできいたことのある話ですよ。
そう、社会福祉士のことです。
- 受験資格取得に関して、実務経験ルートと、学校での取得ルートがある
- 資格取得後の就職先として、公務員が人気である
- 資格がなくても、福祉の仕事はできる
上記は、救命士と非常によく似ています。
違うところは、福祉の場合は民間でも仕事は結構あること。ですが、低賃金のところが大多数ってところです。
雇われて働く場合は、やはり公務員が一番待遇は上なんです。
結果的には、救急救命士と同じです。
このように、資格はとったが、それを活かす場がないということは考えなくてはならないことです。
私の考えの一例
救命士が就活に失敗した場合は、まず専門性の棚卸をすることが必要です。
医療に関する知識があるのなら、医療関連の会社に勤めることができるかも知れません。
アミーユの元職員は、救命士の資格を介護分野で活かそうとしていました。
実際、職場では、医療の知識があることで頼りにされていた側面もあったようです。
これ自体は、間違いないのですが、問題は介護業界の劣悪な待遇です。
資格を活かすというのは、単にスキルを活かすこどだけでなく、収入に結び付けないと続きません。
逆に言えば、収入さえあるならば、専門性は後付けで自分の中に納得させることができるのです。
先ほどの例でいうと、救命士が医療関連の会社に就職しようとするならば、まずはその会社で自分が会社に対して何を提供できるのかを考えます。
会社に勤務する上で、必要な知識や資格があるなら、それらを新たに学ぶことも実行します。
どこにいても重宝されるスキルとしては、ネットスキルや、営業のスキルがあります。
救急医療に関する情報発信をしたり、医療関係の市場の問題点をみつけたりもできます。
ここで、資格という狭い領域ににこだわってしまう人は、
「営業んてしたくない」とか「そんなことはできない」といって、自ら道を閉ざしてしまいます。
資格を活かそうとする人は、「どうしたら資格をお金に変えられるか?」を考えます。
救急車に乗ったことがなくても、実務経験がなくても、
「何か方法がある」という発想があるのです。
資格取得後も勉強は続きますよ。
これまで、試験に合格するための知識偏重だった勉強が、次は提案して稼ぐタイプの勉強になっていきます。
このように考えると、目指すべきスタイルは、雇用よりも、個人事業主であるかも知れません。
自分で立ち上げた会社であれば、より自分の好みの働き方ができる可能性があるからです。
でも、数年は雇用されて修行するというのも、もちろんありです。
社会福祉士が介護を数年することをよしとしているのも、この理由からです。
修行目的ですね。
でも、永年に渡って雇用される介護職をするのはお勧めしません。
修行を積んだら次のステップに行くことが必要です。
救急救命士であっても、社会福祉士であってもこれからは全員が条件のいい雇用を享受できるなんてことはありません。
そのことを前提に資格を取得しましょう。
でも、落胆することはありません。
資格は、国家が与えた看板です。
その看板を活かすも、活かさないも、取得者自身なのです。