社会福祉士のレポート作成は形式にこだわるな


大学でのレポートは、科学的、かつ渇いた文章で書くのが良いとされています。


渇いた文章というのは「感情的な文章」の逆バージョンと思ってください。


冷静な文といってもいいです。


でも、それって、設題によっては、部分的に逸脱してもよいルールだと考えてください。


意見を述べようとするときに、すぺてを科学的、かつ乾いた文にするのは難しいです。


それは、やってみると分かります。


例えば、文体を


○○と考えられる


とか、


○○と推測できる。その根拠は、○○で・・・・


とかいう表現にすれば、それが科学的かつ、渇いた文と言えるとは限りません。


むしろ、学生の書く文章は、恰好つけた言い方をしている作文だと揶揄されることが多いものです。


私の書いたレポートを見ていただければわかります。


作文といっても一応、「ですます調」ではなくて「である調」で書いてありますが、必ずしも渇いた文章ではないです。


はっきりと言います。


学習した結果の文章であれば、怖れるほどのことはないです。


この点には、自信があります。


レポート作成は、人間のやることですから固定的に考えずに、柔軟思考でいきましょう。


万が一、不合格になったら、それは「その教員の方針がそうなのだ」と割り切って必要ヵ所を書き直せば済むことです。


ちょっと、乱暴な言い方をしましたが、要は、文が渇いているのか、いないのかというのは形式に過ぎないということです。

大事なことは、

  • 設題に対して答えているか
  • 当該科目を理解している(と思わせる)か
  • コピペではないか(リライト・咀嚼しているか)

という点にあります。


近年、こうした細かい、形式的なことで単位を落とすような教員は、ほぼ絶滅しました。


形式的なことは、他にもあります。


例えば、


1.〇〇について


とか


Ⅲ第1節


という項目立てする書き方がありますよね。


これって、必ずしもこの書き方をしなくてはいけないのかという疑問が沸きますよね。


結論を言うと、項目立てが有るか無いかで、不合格にするような教員は、まずいません。


私の実体験から言えることです。


ちなみに、当サイトでは、項目立てのあるレポートと、無いレポートの両方を公開していますが、こうしたレポートの書き方に対する考えも教員によって、もしくは設題や、書く文章内容によって異なるということになります。


レポートを書き始めたばかりの大学1年生は、こうした曖昧さが分かりにくいものです。


例えば、


A教員から「項目立ては要らない」という指導を受けたので、次回から指導の通りに書いたら、B教員に「項目立てて書きましょう」といわれた・・・


このような混乱が起きます。


唯一絶対的に正しい書き方なんてのは、存在しないというのが私の解釈です。


「教員によって、言うことが違うよね」


ってことです。


指針としては、


読み手に伝わりやすい書き方を考えて、適切な方法を選択する。


ということになるでしょう。


白か黒か、0か100かの思考をしていると、この辺りは、気持ちが悪い考え方かも知れませんが、論述式のレポート作成では、こういうグレーな部分が付きまとうものです。



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