レポートの評価と授業評価システム
最近の大学では、 犯してはいけないルールがあるなら、最初に明示すべき という認識が高まっています。 これはいい傾向だと思います。 ある意味、大学側の説明責任といえましょう。 その背景には、少子化によって大学側にサービス業としての振る舞いが、今まで以上に求められている事情があります。 学生は、消費者です。 50代くらいの方は、ご存じかと思いますが、昔の大学は、先生が授業に遅れてくることが結構ありました。 大学がレジャーランドなどと言われた、高度成長時代のことです。 また、学生の側にしても、教員の遅刻に対して、 「ラッキー」 などと喜んでいました。 ところが、今は教員が授業に遅刻しようものなら、学生の側は、 「授業料を返せ」 となります。 この点に関して、私が学生だったら、やっぱり手抜きのような授業には不満を持ちます。自分で授業料を払っていたので特にそう思います。 また、学生が授業を評価するシステムを取り入れている大学もあります。 私が通っていた大学は、2000年開学の新しい大学でしたので、この授業評価システムが導入されていました。 では、いい加減な授業・評価・指導をした教員に対して、学生の側が仕返しをすることができるかというと、それは難しいです。 そもそも気に入らない教員に仕返しをするシステムではありませんが、大学の事務局などに苦情を申し入れるなど、一応、反論の機会があるものの、そういうことは止めた方がいいです。
採点点数と、評価文章が明らかに異なるなど、評価のつけ間違いならばともかく、反論して評価を覆そうとするのは教員のプライドを逆なでするだけです。
仮にも相手は、大学の先生です。
「あなたの言っていることは間違っている」
などと、教員を攻撃したら反発を受けるのがオチです。
大学のレポートは、論文の形式をとってはいますが、論争を巻き起こすほどの内容としては取り扱われないのがほとんどです。
もちろん不当な評価を受けた場合は、不服申し立てができるとしても、結果は明らかな錯誤が証明されない限り、覆らないでしょう。
これは致し方ない部分でもあります。
なので、成績に不満が残らないようにするには、各科目の評価基準を熟知して、時間をかけて履修していくことが確実です。
通学過程の大学の中には、教員と学生との関係性の良し悪しが成績に影響しているケースがチラホラ報告されていますが、このようなケースは非常にやっかいな問題です。大学院の論文指導教員と学生の間でも、この種の問題が起きやすい傾向があります。
ただ、通信制大学の場合は、構造的に教員との関係性はあまりなく、あくまで提出したレポートで評価されるのが通常です。
したがって、添削教員の評価基準が軸となって評価されることが多くなります。
ちなみに、教員が不当な評価をすることについての問題もありますが、学生の側も問題とされるレポートを提出することが多々存在します。
例えば、コピペレポートです。
ネット上に公開されている文章をつなぎ合わせて、さしたる考察を加えることなく、レポートを仕上げるもので、一番の問題はその教育効果の薄いことです。
ネットの情報が悪いというのではなく、その情報を咀嚼していないところに問題があります。
大学側は、対策としてコピペレポートを判定するソフトを使用していることがあります。
で、その結果、あるレポートが盗作と判定されたとしても、日本の場合は、それが米国の大学のように訴訟や懲戒に発展することは、まずありません。
不合格の判定を受けて、書き直しを命じられるくらいのものでしょう。
まして、リライトがしてあれば、ほとんどの場合は、それが高評価かどうかは別として、審査を通過してしまうことでしょう。
甘いリライトであってもです。
そもそも、教科書を参考にして書いている文章ですから、似たような文になるのは自然なことかも知れません。
例えば、文章中の単語の位置を少しずらしたり、修飾語を追加、または削除しただけのリライトであっても、それをコピペと判断することは少ないです。
もちろん、評価は低くなる可能性があるので推奨はできません。
レポートを書く過程は、後の科目修了試験や国家試験の成績に影響してくると捉えて、一見遠回りに思えても、知識を咀嚼して消化するくらいに勉強した方が、結果として学習効果は高まり、確実に単位習得をすることができると思います。
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