社会福祉の通信制大学に入学するために仕事を辞めました

通信制大学

この記事のタイトルをクリックしたあなたは、おそらく社会人なのではありませんか?

そして、通信制の大学か養成校への入学を検討しているのではありませんか?

だとしたら過去の私の話が何かの参考になるかもしれないので聞いてみてください。

私は通信制の大学で社会福祉士の資格を取得した者です。

大学は編入でなくて、1年次から入学し、5年かかって卒業しました。

私が、社会福祉士の資格を取得しようと思ったのは以外と遅くて、それは大学3年次の履修登録の時でした。

それまでは、とにかく大学で勉強したいというのが一番先に望んでいたことでした。

大学で勉強できる

たったこれだけのことが、どんなに恵まれたことか・・

私にとっては、大学は夢のような場所でした。

日本では、親に学費を負担してもらって大学に行かせてもらえることが普通のようですが、私の育った家は違いました。

大学教育なんて夢のまた夢という家庭でした。

時は90年代後半

当時の私は、20代で、環境に逆らえる力も知恵もなく、惰性で一人暮らしをしていました。

それまでの私の経歴といえば、製本工場での工員であったり、宅急便、バイク便といったフリーターの仕事ばかりでした。

無業の期間もありました。

要するに私は、職歴なし、学歴なし、資格なしの「なし」が三拍子そろった状態だったのです。

まさに行き止まりです。

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頭の中には、こんな画像が見えていました。

そんな私が、恵まれた条件の企業に勤められることはかなわず、20代半ばのある年、とある理由から、空調設備の会社でメンテナンスをする仕事に就くことになりました。

その会社の仕事内容は、一人で車を運転し、固定客を訪ねて機械のメンテナンスをするというものです。

お客様の中には、飲食店だったり雀荘であったりするので、メンテナンスに訪問する時間は、閉店後や開店前だったりします。

当然、帰りが夜遅くなりがちの仕事でした。

当時私は、会社の寮生活をしていましたので、通勤時間はゼロですが、帰宅はいつも22時とか23時でした。

給料は20万にも満たないうえに、社会保険にもまともに加入していない、超ブラック企業でした。

将来が見えず、日銭を稼いで時間を消費するだけの毎日

何かを変えなければいけないという気持ちはあるが、なにをしていいのかわからない

そんな時間を何年も過ごすうちに、いつしか、行けなかった大学で勉強したいと思うようになりました。

2000年のことです

一方、このとき社会では、介護保険制度が成立しており、制度発足を直前に控え、介護ビジネスが何かと話題になっていました。

今の介護保険とは違って、当時は非常にビジネスの将来性を感じさせる制度といわれていました。

今から福祉を目指そうとする人には信じがたいかもしれませんが、当時は介護が儲かると思われていたのです。

だから、福祉を目指せば「就職に困ることはない」という考えが頭の片隅にあったことは確かです。

大学に行きたいという思いと、介護ビジネスの将来性

この2つが無意識の中で融合し、私は福祉系の大学を目指すことになります。

私は、このブラック会社に約10年勤務しました。

最終的には、大学での学業を優先させるために退職することになるのですが、大学に行くという決断をしてから、約1年の準備期間を要することになります。

社会人が社会福祉の専門大学に入学するためには、学業と生活を両立させなくてはなりません。

それには、大きな決断力と準備が必要です。

いまのあなたも、ここに悩んでいるのかもしれません。

もしあなたが、恵まれた環境にあって…例えば親元に住んでいるなどして生活の援助がある程度受けられるのであれば、大学や養成校に入学することに悩みは発生しないでしょう。それをありがたく利用すればいいのですからね。

でも、かつての私のように、援助が得られない、もしくは困難があるというのであれば、やはり準備が必要になります。

で、私の場合はどんな準備をしたのか・・・・それは

  • 会社に大学に入学することを伝える
  • ヘルパー2級の資格をとる
  • 介護の実務経験を得る

この3つでした。

今思えば、こんなブラック会社は、さっさと辞めればよかったのですが、生活のことを考えると、簡単には辞めることはできませんでした。

決断力がなかったのですね。

なので、一応は会社に理解を求めたのです。

ところが、期待は簡単にはずれました。

大学での学業に関して、会社が配慮してくれたのは、スクーリングに行くときに会社を休ませてくれるということだけでした。

それもたった数回。

まあ予想はしてましたけどね。

そんなもんです。

当時の勉強の仕方といえば、教科書の内容をカセットテープに吹き込んで、会社の車を運転しながら聞いて、内容を学習するスタイルでした。

運転しながらの勉強

仕事は、一人で自動車を運転し、顧客のところに行ってメンテナンスをする仕事でしたので、車中で勉強できる環境ではありました。

でもですよ。

カセットを聞くだけで大学のレポートが書ける訳じゃないですし、運転しながらテープを聞いても大して知識が頭に入る訳でもありません。

第一、体がクタクタに疲れていたので、結局、最初の一年目で習得できた単位は、スクーリングの数単位と、レポート提出5本未満という散々な結果となってしまったのです。

大学に入学して数か月の段階で「これはまずい」ということに気付いたので、次の作戦を考えました。

それはヘルパーの資格を取って、バイトでもいいから、まずは介護の仕事をするというものでした。

これなら実践経験も積めるし、こんな深夜残業を続けて、体力を消耗するくらいなら、卒業を待たずに介護業界に転職してもいいと思ったのです。

もしあなたが、ブラックではない会社勤めをしていて、ある程度定時で帰れる仕事をしているなら、会社を辞めずに学業を続ける選択肢は十分に考える余地があるので、あくまで私の場合としてとらえてください。生活がかかっている仕事を辞めるのは、想像以上に勇気がいるものですし、リスクもありますからね。

で、私の場合に話を戻します。

ヘルパーの資格ですが、これは休日に講座に通って取得しました。

少ない休日に休まずに、ヘルパー講座を勉強していたので、体はクタクタでしたが、教室で介護技術を学ぶことは、良い気分転換になり、ストレスを感じませんでした。

ストレスだったのは、ヘルパー講座に通うことで、大学での勉強が、さらに遅れていくことでした。

それから資格を取った後の仕事探しについても未知の状態でした。介護業界はまったまくの未経験でしたので・・・・・

ところが、見てる人はいるもので、当時のヘルパー講座では、最後に訪問介護事業所に実習に行くのですが、なんとその事業所の人からバイトをしてみないか?と誘われたのです。

これはチャンスだと思って、私はその話を請けることにしました。

スケジュール的には、週末が開いていたので、まずは週1日のバイトをすることになりました。

こうして、私はブラック企業での長時間労働と、週末1日のヘルパーのバイト、大学での学業という、どれも中途半端な詰め込みの生活が始まりました。

でも、それは会社を辞めるという決断の前の、ほんの一時の出来事に過ぎませんでした。

とにかく介護の実務経験を積んだら、準備は完了だ

そう自分に言い聞かせていました。

社会福祉の通信大学に入学して、約10か月、ヘルパーのバイトを始めて半年がたった時、私は、ついに会社に辞意を表明しました。

会社なんて冷たいもので、辞めると宣言した途端、人を粗大ごみのように扱うものです。もう用無しだといわんばかりです。

会社の都合も考えて、退職時期には余裕をもって申し出たのですが、会社からの返事は「もう今月でやめていいよ」でした。

まるで不法投棄です。

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こんな感じですね。

私も、同じように会社を利用してきた訳ですし、大した忠誠心もなかったんです。それでいいんです。お互い様です。

それよりも、これで学業に専念できると思うと、気持ちは晴れ晴れでした。

絶対に大学を卒業するぞ

そう決意して、私は引っ越しの手続きを行い、10年務めた会社をあとにしました。

風呂なしの安アパートに引っ越してからというもの、私は、週に2・3日のヘルパーのバイトをしていましたが、それ以外は学業に没頭しました。

それまでの遅れを取り戻すべく、取りつかれたように勉強する毎日

今度は、運転をしながらのテープ学習ではありません。

図書館で参考書を常時20冊は借りて、片っ端から読み漁り、レポートを月に4本以上こなし、科目修了試験の受験、スクーリング受講と順調な学生生活が始まりました。

何の保証もない貧乏生活でしたが、勉強したいという気持ちを、もはや止められませんでした。

大学での単位習得が面白いように進むことが楽しくて、生活のことは節約に努めるくらいで、あまり考えていませんでした。

会社を辞めるまでは、あれほど生活を心配して、決断を遅らせらていたのに、いざ会社を辞めてみると、なにも恐ろしいしことはないことに気付きました。むしろ、もっと早く決断すればよかったという後悔があるほどでした。

私は、このとき次のことを学びました。

  • リスクを取らなければ物事は先にすすまない
  • やってみて初めてわかることがある
  • 考えすぎると決断がにぶる。無知には強さが存在する

このときの私の社会的な立場は、介護のバイトをしているフリーターです。

当時の年収は、だいたい50万くらいでした。

足りない生活費は、貯蓄を取り崩していたのが実情でした。

大学で勉強しているという大義がありましたが、きちんと正社員として勤めている立派な大人からしたら、なんとばかげたことをしてるのだろうといわれそうな生活です。

でも、いまだからいえるけど、無知って強いと思うんですよ。

大学に行けば、もっといい仕事に就ける

そんな無知さがあったからこそできた決断だと思います。

人間が後悔することのほとんどが、「したことに対する後悔」ではなく「しなかったことに対する後悔」です。

そして常識的に物事をよく知っている人ほど、現状維持を好みます。

つまり決断しないこと、ペンディングにすることを選択するのです。

もちろん、決断したからと言って、すぐに物事がうまくいくはずはありません。

ブラック企業で長時間労働をしてた男が、フリーターになり、通信制の大学に入学した。

駒は、まだここまでしか進んでいない状態です。

問題はまだ、解決していません。

でも、そのときの私は「したことに対する後悔」は、いっさいなく、着実に大学での履修を進めていく日々を送っていましたので満足していました。

2002年の春のことです

少し長くなってきたので、今日の話はここまでにします。

今日は、私がブラック会社を辞めて、社会福祉の通信大学に入学するまでのことをお話ししました。

もしあなたが、いま社会人で、これから社会福祉士の大学や養成校に入学しようか否か迷っていたら、私の体験を参考にしていただけたら幸いです。

あなたには、あなたの決断とリスクがあると思います。あなたの声に耳を傾けてみてください。

なお、今後このシリーズの続編記事を書いていきますので、興味のあるかたは続き読んでみてください。

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