「社会福祉士で就職できなかったからあきらめた」はもったいない
ツイッターをみていたら
- 社会福祉士の資格をとったけど、就職できなかった
- 難関突破したのに意味なかった
- 資格を活かせる職種につけなかったのであきらめます
という記述がありました。
これって、つぶやいているだけならいいのだけれど、
本気で思っているとしたら相当もったいないことですよ。
単に、ペーパーテストを受けただけでとった資格ならまだしも、
大学や専門学校で何年もかけて取得した社会福祉士は、活かせる価値があります。
就職できたかどうかで資格の意味を決めつけないほうがいい
どんな分野であれ、資格が雇用を保証してくれるわけではありませんよね。
経済的に考えても、福祉現場レベルの、しかも雇用労働者という枠の中では、がっかりすることが多いです。
かくいう私も、資格で高待遇の仕事に就職したわけではありません。
低賃金の障害者施設の支援員と訪問介護のかけもちをしています。
ですが、仕事の中では社会福祉士の資格が役立っています。
ちゃんとした就職かどうかは微妙ですが、資格を活かした仕事をしているのは確かです。
社会福祉士は社会や自分のため活かすべき?
私は、無業・フリーターと、ブラック企業の社員という経歴から社会福祉士を目指しました。
藤田孝典さんのようにホームレスとの出会いから研究・実践へという流れではなく、自分自身が格差社会の一員として、低賃金労働者の実体験があって社会福祉士になったのです。
なので、格差問題には問題意識をもっていますし、
「社会を変えたい、そして自分を変えたい」
という思いはかなり強いほうです。
社会福祉士を活かせるのは、こうした
「内に秘める使命感のため」
じゃないかなと思っています。
ソーシャルワーカーは、現場レベルで汗を流すことも、もちろん大切なんですが、
それ以上に
「社会や自分を変えよう」
という力が必要です。
社会を変える活動
といっても、そんなおおげさに考える必要はないですよ。
身の回りにある、ささいな出来事の中にも社会を変える活動はあります。
今、私が考えている社会変革の活動の一つに
「フェアなエネルギー交換の原則」
の実践があります。
これは、
「与えすぎるのも、もらいすぎるのもバランスを欠くのでやめた方がいい」
という原則です。
格差や労働の問題にからめていうならば、
「ただ働きも、労働に見合わない高給もダメ」
ということになります。
もし、賃金が不当に低いのであれば、仕事にそそぐエネルギーを適切なものにすることでバランスのとれた働きができます。
例えば、
サービス残業をしている
とか
休憩時間がとれない
とか
あたりまえのようで、曖昧にされがちなことに対して、きっぱりと「NO」を言う
これも、社会を変える活動です。
自分を変える活動
自分がうまくいかないのは、他者が悪いからだ
と言ってしまえば、そこで成長はとまります。
でも、社会福祉士は、自らにソーシャルアクションを起こせる存在なので、そんなことにはなりません。
資格を活かして、自らを成長させることができます。
社会福祉士は、社会に生きてている存在なので、もっと社会をみつめる存在であってほしいですね。
そうすれば自分を変えることができます。
まとめ
「社会福祉士の資格をとったのに就職できなかった」
という事実は、長い人生の中における一つの通過点に過ぎません。
誰しも、資格をとるまでのストーリーってありますよね。
だから、もしあなたが、社会福祉士の資格を活かせていないと感じているのであれば、
「まだまだこれから」
と、ポジティブな思考を持つことをお勧めします。
実際、その通りですので・・・・
すべてのものごとは、フレームによって見方が、善にも悪にも一変します。
これをリフレーミングといいます。
就職ができなかった後、人生が終わる訳はありませんよね。
それならそれで、何らかの仕事をするでしようし、それまでの経験が、直接・間接の形で影響することも多々あります。
確実に次のステージが待っているわけです。
一端就職して、仕事を辞めた場合も同様で、
仕事を辞めたからといって、そうそう人生終わらないんですね。
なんか別の仕事をしたり、稼げることを始めたりするはずです。
次の仕事は、福祉と無関係な仕事に就くかもしれませんが、あなたの福祉感はすでに内に根付いています。
社会福祉士という資格がしっかりと影響を、あなたに及ぼしているのです。
なので、就職できなかった、あきらめた、というコメントに対しては、
「そのようなことはない もったいないですよ」
ということができる訳です。
スポンサーリンク