社会福祉士レポートアーカイブ(基礎福祉演習-設題1)

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社会福祉の基本中の基本を学ぶ科目です。
福祉系大学の1年次の初期に履修する福祉科目といっていいでしょう。


要は、大学に入学したばかりのフレッシュな学生が履修する科目です。


科目概要を読むと、
福祉の仕事を10年やっても身につかないような高度な事柄の修得が目指されています。

ポイント(学習ガイドより)

 社会福祉の専門職者が、社会の中で専門職者としてその役割や責任を果たしていくために必要な倫理や能力を想定しながら考察すること。また、それを達成していくために必要な援助技術や対象の理解の仕方についても理解を深めること。

科目概要(学習ガイドより)

 4年間の福祉の学習の基礎として、地域社会とそこに住む人々の生活を営む上での福祉ニーズをどのようにとらえるか、その基本を学習し、それに沿った援助方法を検討する。
 また段階を追って援助計画を立てる訓練とそれを短期間で実践し成果を互いに評価し、福祉利用者との間により良き人間関係を形成する能力を芽生えさせる。福祉においては的確に現状を把握し、冷静に問題に対処する能力とともに、他方では利用者に共感する豊かな人間性が必要となる。この両面を統合的に修得していくことを目標とする。

設題1

「福祉専門職者に必要な倫理や能力についてまとめ、自分なりの見解を述べなさい。」

 戦後、他国に類を見ないほど経済成長を果たした我が国は、昔に比べ、より多くの人が長生きをする社会になってきている。国民全体の生活は豊かになり、栄養状態・衛生環境は飛躍的に改善された。人口構成は、多産多死から少産少死の社会へ移行し、1970年には全人口のうち65歳以上の人口が7%を超える高齢化社会を迎え、次いで1994年には65歳以上の人口が14%を超える高齢社会に達している。そして2020年にはこの比率は25パーセント以上になると推計されており、今後も人口の高齢化は留まるところを知らない。
 そのような背景から、しだいに福祉専門職確立の声が高まっていった。ここでは、戦後間もない頃の「与える福祉」ではなく、社会福祉士及び介護福祉士法制定以降の「新しい福祉」における福祉専門職について論考する。
 短期間で高齢化を迎えた我が国において、福祉専門職が社会で果たす役割は多岐にわたっている。大きく分類すると以下の4つになる。
(1)援助を必要としている人(利用者)と社会資源を結びつけること
(2)困難な状況を予防し、利用者が社会に適応できるように導くこと
(3)流動的に変化する福祉ニーズに対応し、調整するマネージメントとしての役割
(4)後に続く福祉専門職者を養成するためのスーパーバイザーとしての役割
 それぞれの役割を果たすために必要な能力を列挙すると次のようになる。
 (1)を遂行するためには、社会資源に関する豊富な知識が必要である。また、援助を必要としている人は、必ずしもそれを声に出すとは限らない。したがって、声にならないニーズを汲み取る力が必要がある。(2)については、医学の知識が功を奏する。例えば、寝たきりの人が、外に出たくないからと言って放置していたら、身体機能はますます低下すると予測できる。(3)は観察力と分析力が必要である。利用者の小さな変化によって、どういうニーズの変化があるか、または過去のデータを分析し、個別の事例にどう対処すればよいかを考える力が必要である。(4)は、科学としての福祉理論を理解する能力と、経験によって培われてきた技術が必要である。
 以上のような能力が、社会福祉専門職として必要な役割と能力であるが、もう一つ必要なものがある。それは、職業倫理である。
 例えば「ソーシャルワーカーは、職務の遂行に際して、クライエントに対するサービスを最優先に考え、自己の私的な利益のために利用することがあってはならない(日本ソーシャルワーカー協会『ソーシャルワーカーの倫理綱領 クライエントとの関係』1986年)」といわれている。それは、援助を必要としている人がどういう状況に置かれているかを考えれば、自ずと理解できる。
 つまり、非援助者は困難な状況にあり、混乱を来している。または、加齢によって、判断力が低下しているかもしれない。そういう状況の時、人間は他者からの影響を受けやすい状況にある。もしそこに職業倫理をもたない援助者が来たら問題なのは明らかである。自己の利益や組織の利益を優先し、利用者にとって不利益な行動をとるかもしれない。
 ただし、クライエントを最優先に考えるということは、何でもしてあげることではない。制度上禁止されている行為や、過剰なサービスによって、結果的に利用者のためにならないことをするのも福祉専門職者としての倫理に欠ける行動と考えなければならない。
 職業的倫理感が無いために、問題を起こす福祉専門職者は論外としても、経験不足ゆえに非援助者を正しく理解できない援助者に対しては、スーパービジョンが有効である。
 ここで、非援助者である対象を理解するための援助技術の一例を紹介する。
 「相手に影響を与えるには、相手に影響されることだ(スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』キングベアー出版 1996年)」と言われている。私たちが、自らの本心を語るときは、どういった状況においてかというと、それは相手が自分のことを理解していると認識できた時だと考えられる。
 福祉専門職者として、とりわけソーシャルワーカーが非援助者と信頼関係を築こうとしている場面を想像していただきたい。
 クライエントは、援助者の熱心な口ぶりから相手を信じたいと願うかもしれない。しかし援助者の心の奥には「まだ自分を理解してもいないのに何故助言ができるのだろうか」という疑問がわいてくることになる。例え、その助言がどんなに正しく、素晴らしいものてあったとしても、「口先だけで自分をコントロールしようとしているのではないだろうか」という疑問が湧いてきてしまう。援助者の力をを必要としていることが分かっていても、援助者に影響させる余裕がないのである。
 つまり、人間関係において効果的なコミュニケーションを図りたければ、まず相手を理解するように努めることである。理解されているという認識や、相手が本心を打ち明けてもよいという安心感があって、はじめてスキルを積み上げていくことが効果を発揮するのである。
 しかし、どんなに相手を理解し、良好な人間関係を築いたとしても、そこにスキルが存在しなければ、効果的な援助ができないことは言うまでもない。その具体的なスキルとしては、フィードバックによる傾聴スキルがある。つまり自分の気持ちを伝えるときに「私はこう考えている」「これは私の見方だけど」といったように「私は」という形でフィードバックするやり方である。
 一方、悪い例としては「あなたは自分勝手だ」「あなたが問題を起こしている」というように「あなたが」という形で相手を裁く口調になっている場合である。
 このように、益々ニーズが多様化する社会の中で、福祉専門職者は、福祉に関する科学的・体系的な技術だけではなく、心理学・医学等の関連諸学を常に学んでいく向上心が求められる。なぜならば、福祉の現場では1つの考え方だけでは、問題解決につながらないことが多いからである。そのため、理想を現実とのギャップに倫理観が麻痺してしまう福祉専門職者は今後増加するだろう。福祉専門職者は、利用者や、その家族に対する責任と、福祉職の社会的認知に対する責任という2つの責任を負っているが、福祉専門職者もまた、福祉サービスを受ける可能性のある人間である。つまり社会福祉の力を社会全体に寄与していくという考え方が「新しい福祉」の時代に求められている考え方なのである。

【参考文献】

  • ミネルヴァ書房編集部『社会福祉小六法』ミネルヴァ書房 2002年
  • 宇沢弘文ほか13名『新訂 現代社会』東京書籍 1999年
  • スティーブン・R・コヴィー『七つの習慣』キングベアー出版 1996年
  • 日本ソーシャルワーカー協会『ソーシャルワーカーの倫理綱領』 1986年



■■■基礎福祉演習のレポートを書く上で気を付けること■■■

文章の型としては、項目をたてないベタ打ちのタイプの書き方としています。

このような書き方は、読みにくいので個人的にはあまり使用しないタイプの書き方ですが、文章量が少ない場合であったり、うまい項目名がたてにくいときはこのような書き方をすることもあります。
要は、臨機応変というやつです。


設題の内容に関しては、自由度が高くて、一見、書きやすそうに見えます。
「自分なりの見解を述べなさい」
という一文からそのように言えます。
ですが、その分、感想文的な文章になりがちなので、そこは気をつけて書きたいところです。


その他の注意点としては、科目概要に書いてある内容をみるとわかるように、福祉が専門職であるという前提のもとに設題が設定されているという点です。

なので、福祉が専門職であるという前提を全否定するような書き方はできないことが分かります。


上記のことを踏まえたうえで、あともう一点、レポートを書くうえでの注意点は、
「学生の多くは実務経験がない、もしくは少ない」
ということです。


でも、心配は不要です。問題は経験がないことではありません。
この科目は、大学1年次に履修するような基礎科目ですし、大学としては、豊富な現場経験は、そもそも求めてはいないからです。

教科書を読み、参考文献を調べて、わかったこと、考察したことを書けば大丈夫です。
これが学生に求められていることです。


私自身、当レポートを書いた当時は、福祉現場での経験は、ヘルパーのバイトしかありませんでしたので、
数少ない経験からネタを掘り起こしてレポートを書いていました。


それと、普段の読書から得た知識も使っています。

当レポートでは『七つの習慣』という書籍から引用している部分がありますが、これは、私が大好きな書籍で、当時からバイブルにしていた本だったので、よく好んで引用していました。


本来ならば、福祉系大学のレポートですから、福祉の専門書から引用すべきでしょうが、
「自分なりの見解を述べなさい」
と設題に書いてあったので、つい影響を受けているバイブルから引用してしまいました。


堅苦しい、生真面目な教員の中には、
「不適切な引用文献だ」
とかいっちゃって減点してくるタイプがいますが、
私は、楽しんで引用していました。


でも、パクリでも盗用でもないので、こういうことがあってもいいんですよ。

特に、大学1年次では、まだフレッシュな視点からレポートを書くことが多いものです。
多くの教員は、その点をよくわかっているはずです。


むしろ、気を付けるぺきは、
あいまいでぼやかす言葉ですね。
「まだるっこしい言い回し」
これは避ける方がいいですね。


例えば、
当レポート後半で
「~できないことは言うまでもない」
との記述がしてありますが、
正直、これは不要ですね。


言うまでもないのなら、
「じゃあ言うなよ」
って突っ込まれそうですよね。


なので、ここは
「~できない」
と言い切りましょう。


でもですね。
言い訳をひとつ言わせていただくと、こうした書き方をついしてしまうのは、

福祉の専門書・・・とりわけ偉い先生が執筆したような本には、このような記述(言うまでもない)が散見されるからです。


偉い先生・・・とりわけ文系の先生が使っているのだから、学生がちょっとくらいマネしてもいいじゃないか?
と思ってしまうんですね。

まあ、こうしたまだるっこしい表現をしても、致命的な減点とはならないということが多いとは言えますけどね。



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