社会福祉士レポートアーカイブ(アジア文化論-設題1)

バングラデシュ

過去レポート保存庫

設題1

「アジアに学ぶ視点について述べ、これからの我が国の国際協力のあり方について論じなさい。」

学習のポイント(学習ガイドより)

 テキストをよく読み、その上で、これまで自分自身がどのようなアジア観を持っていたのかを見つめ直し、新たな国際協力のあり方について論究すること。

科目概要(学習ガイドより)

 従来、日本は欧米諸国の文化を模倣することに主眼を置きアジアを軽視しているのではないか、と諸外国から指摘されてきた。確かに、日本に歴史上重要な影響を与えてきたアジアの国々の生活事情と文化について十分理解している日本人は少ないであろう。隣接諸国であるアジア文化の理解を深めることは、日本の歴史や文化を理解することにもつながる。そこで本科目では、アジアの文化や生活事情を理解することをねらいとする。またアジアの諸国の社会事情や福祉事情についても学び、福祉分野でのアジア諸国との連携をも模索していく。

 日本は、先進工業国の一員として、またアジアの一国として、発展途上国の国々の経済的、文化的発展の自助を手助けするという国際協力の責務を担っている。日本は、歴史的に欧米文化の影響を色濃く受けてきたが、近代化、欧米化する過程の中で、多くのものを得たと同時に、多くのものを失ってきた。それは日本が、欧米文化に偏重してきた結果でもある。そのためか、日本の国際協力はアジアに学ぶ視点を欠くとの指摘がなされている。本来、アジアの一国である日本は、文化的・宗教的にも近い、アジアの国々から学ぶべき視点は多いはずである。そこで、以下にアジアに学ぶ視点から、日本の新たな国際協力のあり方について論究していく。

1.日本人のアジア観について
 日本がアジアに学ぶ視点を考える前に、まず、日本人のアジア観について見つめ直す必要がある。そこで、本科目のテキストである『アジアに学ぶ福祉』(小林明子著)を読んだ後に、自分自身のアジア観を見つめ直してみた。
 自分のアジア観を要約すると、アジアは、⑴貧しい、⑵不衛生、⑶犯罪が多いということと、⑷貧しい中にあっても人々はたくましく生きているというものであった。
 一方、知人何人かに日本人のアジア観について尋ねてみた。すると「汚い」「貧困」という類いの意見が返ってきた。その他、最近の鳥インフルエンザの報道を見て「タイには行きたくない」という意見や「ベトナムにはいってみたい」という意見などがあった。
 これらのことから、日本人のアジア観は否定的なものが多いという印象を受けた。ただし、いずれもアジアを訪れたことのない人の少数意見である。主に、マスコミからの情報や思い込みによって形成されたアジア観であるといえる。
 反対に、実際にアジアを訪れ、アジアの文化に触れた人達のアジア観を、文献によって調査してみた。すると、アジアを肯定的に観る意見を述べる人が存在する。『アジアに学ぶ福祉』の著者である小林明子氏もアジアを実際に訪れた人の一人であり、アジアを肯定する人の一人である。彼女の著書を読む限り、日本人のアジア観は、やはり否定的なものが多いようである。また、彼女によると欧米文化偏重の日本人は、その否定的なアジア観をよそに、アジアから学ぶべき点が多いのだという。そこで、次に『アジアに学ぶ福祉』に示されているアジアに学ぶ視点についてまとめてみる。

2.アジアに学ぶ視点について
 『アジアに学ぶ福祉』には、日本人がアジアに学ぶ視点として以下の4点が示されている。
 第1は「アジアの家族観と生活環境」の視点である。アジアの人々は、自然や家族を大切にした生活をしている。例えば、マレーシア・サバ州では、食事の支度は家族全員が参加して行う。家族が揃って食事をとる。必要以上に働かないといった具合である。大量消費社会の日本の生活、仕事を優先にして、家族と過ごす時間の少ない日本人は、ここに学ぶべき視点がある。
 第二は「太平洋戦争の足跡」の視点である。アジア各国を訪れると、過去、日本軍が犯した過ちの形跡を見ることができる。戦後生まれの日本人も、歴史的事実に目を向けることで、過ちから学ぶ視点を持つことができる。
 第3は「アジアにおける異文化理解の方法」の視点である。アジアの国々の多くは多民族国家である。同一国内に多様な言語や、文化・慣習・価値観が存在している。特にインドは民族の数が多く、使用されている言語の数は 18種にものぼるという。一方、日本人の中には、未だ島国的な発想が強く、国際人としての資質が問われる。アジアの多様性と異文化理解の方法に学ぶ視点がある。
 第4は「アジアにおける民間の活発な活動」である。アジアの社会福祉制度の整備は遅れている。しかし、遅れているがゆえに住民による、独創的で斬新で活発な民間の活動が多く存在する。ここに、行政からの指導や規制に縛られている日本の社会福祉制度の学ぶ視点がある。
 以上が『アジアに学ぶ福祉』にある、日本がアジアに学ぶ視点のまとめである。なるほど確かに、アジア諸国には学ぶべき点が多く、日本が近代化を進める中で失ってしまったものを気付かせてくれるようである。そこには、近代化する以前の日本を垣間見ることができた。
 国際協力を果たす責務を担いながらも、自国の国際化が遅れている日本を変革していくためには、日本が上記の「アジアに学ぶ視点」を活かして国際協力をしていくことが必要である。

3.わが国の国際協力のあり方
 以上、日本がアジアの視点に学び、国際協力を推進していく必要があることを述べてきた。しかし問題は、国際協力のあり方である。
 日本の国際協力のあり方を考える上で、まず、日本がすべきことは、既に活動が展開されている NGO(非政府組織)や、JICA(国際協力事業団)などによる国際協力活動のさらなる推進である。これが第一である。そして、そこからさらに一歩踏み込んで、新たな国際協力のあり方を模索していことが重要である。
 そこで、唐突かもしれないが、アジア途上国からの移民を広く日本に受け入れるという提案をしたい。日本人が、現地へ出向いて援助するだけではなく、同時に日本国内を国際化していくのである。そして日本がアジアから学び、アジアも日本から学ぶという国際協力の在り方を目指すのである。
 これを実施すれば、アジアの人々に非西洋の世界にあって早期に近代化を成し遂げた日本の近代化の経験を伝達することができる。近代に特有な世界観や価値観は、西洋文化の歴史の中で形成されてきたが、アジアの一国としての日本が、こうした近代の精神をどのようにして受け止め、科学や技術を摂取し、発展させてきたかを伝えることはアジア各国にとって、実に有益なこととなる。
 また、国際協力を通して、日本国内が国際化すれば、国内に在住する日本人が、アジアの人々から学ぶ機会をより多く享受することができる。これにより日本人が外国語を話す機会が増え、複数の言語を習得した日本人が増える。結果として、国際協力としてのNGO、JICAに参加する人材が多数確保され、海外での国際協力にも寄与するといったことも期待できる。
 つまり、国際交流を促進することで、国際協力につなげていくという考えである。こうした活動も、実現できれば、立派な国際協力となりえる。
 ただし、日本の近代化には、近隣諸国の植民地化や軍国主義の台頭、また産業発展に伴う公害問題の発生など、負の遺産がある。近代化の経験を世界に伝達し、国際化・国際協力を推進していくにあたっては、これらのことを忘れてはならない。日本の経験について独善に陥ることなく、また異文化に生きる人々の人権を尊重しつつ、世界に対して積極的に語りかけ、かつアジアを中心とする諸外国から学んでいく姿勢が、これからの日本の国際協力のあり方であるといえよう。

【参考文献】

  • 小川忠『インド 多様性大国の最新事情』角川書店 2001年
  • 国際協力事業団『国際協力事業団年報1996』国際協力出版会 1996年
  • 小林明子『アジアに学ぶ福祉』学苑社 2002年
  • 下村恭民、辻一人、稲田十一、深川由紀子『国際協力 その新しい潮流』有斐閣 2001年



■■社会福祉士レポート課題で必要な「実況中継文体」とは■■

当レポートの書き方は、指定された教科書を読んで、学生自らのアジア観や、日本の国際協力の在り方について論じていくスタイルとなっています。


学生自身の意見とアイデアを求めているところに、その特徴があります。


制度や法律、専門用語を説明させることの多い、社会福祉士の指定科目とは異なり、設題を把握しながら、教科書を読み進め、感じたことをレポートしていく形になります。


感じたことについて、さらに調査が必要であれば適宜必要な参考文献を読むなどしてレポートを仕上げていきます。

指定教科書はこの本です。

アジアに学ぶ福祉 [ 小林明子(社会福祉学) ]

もう古い本なので、売っていないかもしれません。


内容的には、アジアの福祉の事情について書かれている本で、実に気軽に読める本です。


ちなみに、何故、アジアの福祉を学ぶ科目があるのかというと、私の所属大学の専攻が「国際福祉心理」という名称だった関係で、広く海外の福祉についても学ぶカリキュラムになっていたからです。

この科目の肝は、自らのアジア観を見つめなおすことと、国際協力の在り方についてのアイデアのひねり出しです。

では、具体的に、どのようにレポートを書くのがよいのかのコツをお伝えしましょう

まず、


自らのアジア観を見つめなおす


という作業です。


これは通勤・通学の電車の中などの、隙間時間で行うのに向いている作業です。


日常の慌ただしさの中で、雑用をこなし、やっと作った勉強のゴールデンタイムに行う作業としては、時間ばかりが過ぎてしまって、もったいないのでやめたほうがいいです。

それと、


「国際協力の在り方」についてのアイデアのひねり出しについても同様です。


これも、カバンの中に教科書を入れておいて、隙間時間に本をパラパラと拾い読みをし、


「何かいいアイデアはないかな?」


と思い至らせる時間を、細切れに持つように心がけると、アイデアがポロっと出てくることがあるので、お勧めです。

こうしたアイデアの捻出法は、人間の頭脳の特徴を利用した方法です

脳は、ある案件が引っかかっているとき、無意識に情報処理をしているという現象を利用している訳です。

あなたもこういう体験はありませんか?

仕事の会議で、何かいいアイデアはないか求められたが、その場では何も思いつかなかった。
しかし、帰宅して、家事など別の用事をしているときなどに、ふと、急にアイデアを思いつき、もしくは思い出し


なぜあのとき思いつかなかったのか?

と残念に思うようなことが・・・

要するに、情報は頭の中で、無意識的にも処理されているので、レポートのアイデアをひねりだそうとするときは


こうした「頭の構造をうまく利用しましょう」ということです。

なので、レポート設題の案件を、少し寝かす必要があるという意味で、レポートを一科目ごとに律儀に履修を進めていくスタイルよりは、複数の科目を掛け持ちで、しかも関連性のある科目を同時並行で履修していく方が、うまい具合に、案件が処理されて、いいアイデアがひねりだせると思うんです。

例えば、

  • 社会福祉国際比較論
  • アジア文化論
  • 社会保障論

こうした似たような科目を同時並行で進めていくと、各科目は関連性があり、アイデアを少し寝かす時間がとれ、知識の使いまわしができ、効率のよい履修ができます。

よく、学生が抱えるレポートの悩みの一つに

正解を熟慮し過ぎてしまう


というのがあります。


しかも勉強机の前で熟慮し過ぎてしまうのです。


それが悪いということは決してないのですが、時間の有限性を考えると、やはり避けなければならないときがあります。

特に、休日の前の晩などで、机に向かっているときは、なまじっか時間があるという感覚になりますから、


つい調べものをしたり、長々と考え過ぎてしまって、

  • 結局、レポートは一行も書けなかった
  • 考えに考えた結果、結局、出た答えは、最初に思いついた(ファーストインプレッション)答だった
  • 考え抜いた結果の結論が、ごくありきたりの、当たり前のシンプルな答えになってしまった

なんて事態が起きます。


これは、過去の私の失敗談です。


そんな苦い失敗には、

長い時間、熟慮しても、完璧な解答が導き出せるとは限らない

という一言を紙にでも書いて貼っておくとよいでしょう。

結論そのものより、そのプロセスが大切なので、考え抜くことには、もちろん意味はありますが、適切なところで区切りをつけないと、レポートの完成は遅れていきます。

大事なことは、隙間時間にアイデアを考え、勉強机に向かったら、素早く文章を書きあげることです。

完璧な答を求める必要はありません

例えば、


私が書いた、当レポートの

「わが国の国際協力の在り方」の部分を読んでいただくと分かると思いますが、

出した答えを批判しようと思ったら、いくらでもできることにお気づきでしょうか?

穴だらけの答です。

ボロボロに批評されても不思議でないような意見といえます。

でも、学生のレポートとして考えた場合、

ノープロブレムです

実際、このレポートはA評価を得ています。

評価票(アジア文化論)

重要なことは、出てきた答そのものではなく、その答えを導いたプロセスが教員に伝わることです。


教員は、そこを観ています。

レポート添削(アジア文化論)

仮に、優等生が書くような、非のうちどころのない解答を書いたとしても、それが学生自身の心の内側から発せられたものでなければ、評価は思うほど高くはなりません。

並の評価ですよね。

これは「~~について説明せよ」というタイプのレポートでは、専門用語の理解度をみられる側面があるので、当てはまらないこともありますが、少なくとも、自分の意見や独創性を求められるレポートでは、必要な法則です。

では、独創性のある(オリジナルな)レポートを書くには、どうしたらいいのでしょう?

コツを一つお伝えします。

それは、

~~と思ったので、~~をしてみた。

~~してみたら、~~だった。

このような書き方をしてみることです。

学生の行動と思考過程が教員に伝えやすいので、私が好んで使っていた表現です。


当レポートの例でも使用しているので確認してみてください。


これは、自分で自分の行動を実況中継するかのような書き方で、名前を勝手につけてしまいますが、

実況中継文体

とでも名付けましょう。

私が書いた、上記のレポートでは、項目1の「日本人のアジア観について」でこの手法を使用しています。


ここでは、身近にいる知人に質問をして、それをミニミニ調査結果としてレポートに使用しています。

知人数人に聞いてみたら、~~の答が返ってきた。


という記述になっています。


本格的な社会調査をしている論文に比べたら、その信憑性には疑問があるでしょうが、使える方法です。

実況中継文体には、次のメリットがあります

それは、

学生自身が実行したことを書くので、オリジナルの文面になりやすい

~~してみたら、~~だった

この文面は、コピペ文章には、なりにくいですからね。

他人のしたことを真似るにしても、多少のリライトが必要になります。

それから、


文章量が調整しやすい

というメリットもあります。

  • 調査をした結果、実際には数人からしか聞き取り調査をできなかったのだが、~~
  • 調査結果は、○○人から聞き取りをした。

など、状況説明の文は、同じ内容の文を書くにしても、その文章量を調整しやすいですよね。

私が、この方法に気付いたのは何故かといいますと


それは、


明快な文章を書くのか、常々難しいと感じていたからです

私が、レポートを書く上で影響を受けた書籍に、木下是雄先生の名著

『レポートの組み立て方』があります。


この本によると、明快な文章の定義として次のような説明がなされています。

 明快な文章の第1の条件は、文章全体が論理的な順序にしたがって組み立てられていること、論理の流れが自然で、一つの文と次の文とがどういう関係にあるのか即座にわかることである。第2の条件は、一つ一つの文が正確に書いてあって、文の中のことばとことばとの対応がきちんとしていることだ。二通り以上に読めて読み手を迷わせるような文があってはならないことは、いうまでもない。

(木下是雄『レポートの組み立て方』筑摩書房 2002年 144頁)

この定義によると、明快な文章を書くには、その前提となる科目の知識が必要であることが分かります。


頭の中で、情報が十分に整理され、無駄が省かれ、文がよく磨かれる必要があるのです。

しかし、不得手とするような科目のレポートにおいて、明快な文章を書こうとしても、これが結構難しいものです。

机の前で固まってしまって、レポートが書けないということが起こります。

なので、そんな時は、実況中継文体を取り入れてみることをお勧めします。

それと、


実況中継文体の応用ですが、レポートの中で議論をさせるという書き方もあります。


例えば、

私のアジア観は、○○である。
これに対して、A氏は、△△という書籍の中で、××という意見を述べている。
私は、A氏の意見に対して、□□の面では賛成だが、××の面では異なる見解を持っている。
その理由は、◇◇を実際に試してみた結果・・・・・・

こんな感じです。


状況説明的な文章になっているのが伝わりましたでしょうか?

文体が「私は、こう思うが」「誰それさんは、このように言っている」「それに対して私はこのように考える」


という流れになっています。これも実況中継文体の一つの型です。

上記のように、実況中継文体の書き方をすると、オリジナル文章であることが明確にわかりますし、コピペだと懸念をもたれることは少なくなるでしょう。

ただし、実際に文を書くときには、設題や学習のポイントに答える内容になっていることが前提であることには十分に注意してください。


コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ