疎遠だった叔母から生前贈与の話が来て思ったこと

私の叔母は80歳代で、今は特別養護老人ホームに入所しています。
数年前から在宅介護サービスを受けていたようですが、このたび施設入所となったようです。
叔父からの手紙でそのことを知ったわけですが、手紙には叔母から生前贈与として110万円を振り込むと記載されていました。
生前贈与の場合、110万円以下であれば非課税になるということです。
叔母には子供がいなかったと記憶しています。施設の支払いや生活費は年金や預貯金でやりくりできると判断したのでしょう。
相続する者がいない以上、財産は最終的には国に行きますから、それならば兄弟・姉妹・甥姪に贈与しようということになったのだと思われます。
叔父からの手紙には、承諾書への記名捺印と、叔母へのお礼の手紙を書く胸の記載がありました。

「疎遠だったのに贈与を受ける」

私はここ数日、ずっと叔母のことを考えていました。
叔母が入所している施設は隣の区にあり、行こう思えば電車で1時間くらいの場所です。
これを機に叔母に会いに行こうか・・・・と思いましたが、なんだかそれは叔母にとって精神的に負担になるのではないか?と思うようになりました。
80歳を過ぎで、かつ体調も崩しているという叔母・・・・しかも特養に入っているのだから要介護状態です。
その叔母に十何年あっていない甥である私が、むやみに面会に行くことは相手の精神を消耗させる無神経な行為なのではないか?
叔母からしたら、
財産を持っていても意味がない、後は老人施設で余生を過ごすだけという、現実はさぞ心締め付けられる出来事だったことでしょう。

それに、私が会いに行ったところで、どんな声を掛けたらいいのか・・・・お互いの老化現象に落胆するだけなのではないか・・・・
そんな思いが頭の中をずっと巡っていました。

そもそも親戚というのは、こんなにも疎遠なものなのか?
ブラックな環境で生きてきた私は、振り返ると親戚や親兄弟とも疎遠で、ずっとバラバラで生活してきました。

2019年に父がなくなった時も、この思いはありました。
父がなくなる数年前に、30年ぶりくらいで再会したのですが、その際5万円をもらいました。これは今考えれば生前贈与だったのでしょう。
30数年ぶりに再開したが、その後はやはり疎遠で、結局はそのまま永遠のお別れをしました。

話がどんどん個人的な内容になってくるので、このあたりにして何が言いたいかというと、叔母への手紙に何を書けばいいか?ということ。
生前贈与に対するお礼はもちろん書くが、その他思い出のことでも書くか?
でも思い出がない。
叔母とは疎遠で、最後に会ったのは平成18年に祖母の葬儀場ででした。
そもそも幼少期にお年玉をもらったことは覚えていますが、それくらいかな・・・・

叔母は今、毎日どんな気持ちで過ごしているのだろうか?
そこが一番気になるところではあります。

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