社会福祉士レポート設題の曖昧さは本質を踏まえることで解決する

社会福祉士のレポート教育については、次のような感想を持つ人が多いです。

  • レポートについて、レポートの内容が分かりにくい
  • 課題が曖昧で、どのように書けばよいかわからない

ここでいう課題というのは、レポート設題のことをさします。

このような感想が出てくるのは、学習レポートと研究レポートを区別していないところからくる誤解です。

  • 学習レポートとは、講義内容を自習させることを目的とするもの
  • 研究レポートとは、学生が主体的に調査研究し、独自の見解に到達することを期待するもの

社会福祉士養成の課程で課されるレポートは、研究レポートの性質が強いものです。特に大学はその傾向が強い。

つまり、研究レポートは、単に知識を詰め込むものではなく、調査報告と見解について担当教員に報告するものということです。

設題が曖昧なのは、学生が独自の見解に至る思考過程を重視しているからであり、これがあまりにも設題の規定が厳格だと、みな同じようなレポート内容となってしまってよくないということになります。

例えば、社会福祉系大学の科目名にある「~~論」といった科目があります。
老人福祉論とか児童福祉論といった科目です。
こういう科目名称がついているのは、科目名・・・児童福祉論であれば、児童福祉について論じる科目だという意味合いがあります。

論じるというのは、断じるとは違うわけで、多様な見解があっていいことになります。
大事なのは、その見解に至る理由や証拠・根拠です。これがあれば立派な研究レポートです。

ところが、これが児童福祉・・・例えば児童虐待について述べるときに、次のような厳密な設題だったらどう思うでしょうか?

設題例
「あらゆる児童虐待と虐待に類する行為は絶対に認められない前提で、児童虐待の厳罰化が正当であることについてのべよ。
ただし、指定した教科書と参考文献の中からのみ引用を許可することとし、他の文献からの引用は減点とする。」

極端に書きましたが、あまりに厳密ですよね。

児童虐待をしてはいけないというのは間違いないとしても、何が児童虐待にあたるか?
については見解が分かれるところです。時代背景や国・文化によっても違うでしょう。

そういうことを無視した厳密な設題は、出されても書きづらいものです。無理に書いたとしても、皆が同じ見解に至ってしまう可能性があります。

ある議論には、かならず断定できない何かがあるもので、別の議論もあります。
そこを各々の学生が調査研究の結果論じるということが大学レポート教育の本質になります。


もう一度、先の感想を述べます。
「課題(設題)が曖昧で、どのように書けばよいかわからない」
こういう感想が出るのは、詰め込み教育、暗記教育重視の弊害です。

これは、
「先生の言う通りに答えますから正解を教えてください」
「そうすれば満点ですよね」
といっているようなものです。

でも、社会福祉のレポートで取り扱う問題について、ただ一つの正解があることはまれです。

逆に言えば、複数の正解が存在することもあります。ある条件を満たせば正解、条件を満たさなければ不正解ということもある。

そうやって、複雑な問題に対して思考力を働かせ、かつ学習もし、それを読み手に対して伝わるように書くのが研究レポートだということになります。

補足
設題に付随して、レポートを書く上での注意事項は存在するので、各大学のレポートガイドをよく読んで注意事項を守ることは必須です。
また、字数制限を守ること、文体などの要件を守ることなど、レポートを書く上での基本的なルールは当然に守るべきものです。
さらに、設題が曖昧だからといって、レポート内容が曖昧でいいという誤解は避けるようにしてください。目標規定文によって自分の主義主張を細かく規定する必要はありますので、そこは誤解のないようにお願いします。

まとめ
レポートガイドなどの注意事項を読んでも、どのような文章を書けば正解だということは書いていないはずです。
結局、学生自身が主題を明確化し、独自の見解を導く必要はあるわけです。
レポート教育の本質を踏まえたうえでの質問は担当教員にドシドシすべしです。

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