社会福祉士のレポート教育の重要性
社会福祉士の養成課程では、レポート書く(書かされる)機会が多いです。
最近では、学習の到達度を判断するのに多肢選択式のテストを採用したり、ウェブ上でテストを行って済ませる科目もありますが、社会福祉士の養成におけるレポート教育の意味合いは、まだ大きいと思います。
私がレポート教育が重要だと言うのは、社会福祉士が単なる福祉オタクとでもいうような知識偏重の資格ではなく、思考力をもった専門職であるべきと思っているからです。
多くの学生がレポートという課題に対して苦手意識を持っていますが、後々、福祉の現場においてレポート教育が役立つことを考えれば、学生の時くらいは一通り、こなしておいて損はないのがレポート教育です。
では、大学におけるレポートとは、そもそも何でしょうか?
辞書的な意味でいうと
「学生が教員に対して提出する研究結果の論文や報告書」
のことになります。
特徴は、レポートの読み手が大学などの教員であることです。つまり読み手が特定されていることです。
それから大学のレポートは、設題が明示されていますし、自由にテーマを選択するような設題だとしても、レポートする上での注意点やポイントが提示されているのが普通です。
あとは、レポートを書く上での約束事を守れば、誰もが単位をとれる・・・これが大学のレポートだといっていいでしょう。
もちろん、まったくの無勉強で単位をとれるほど甘くはないので、学生としての本分(その人として本来尽くすべき責務)を果たすこと・・・つまり勉強することが前提となります。
以上が、大学でのレポート教育の特徴となります。
で、レポートを書く上での約束事についてですが、これがケッコウ重要で、
- 文体を「である調」で書く
- 客観的に書く
- 事実と意見を区別して書く
- 誤解されようがない文を書く
といったものが代表格になります。
箇条書きにしてしまうと、簡単なことのようにみえますが、いざ書こうとするとこれが意外に難しいんです。
1から4について、ちょっと説明しますね。
1つめ
である調で書くについてです。
これは文末を「である」にして書く文章のことです。
時々誤解する人がいますが、これはすべての文末を「である」で統一しろということではありません。
「である」「でない」「しない」「ならない」「であろう」「であるから」といった文体で書くことになります。敬語や丁寧語を使うとことは不要です。
2つめ
客観的に書くというのは、感想文にしないことです。
例えば、介護現場の大変さを書くときに、
「なんて大変な現場なのでしょう」
と書くのは感想であって、客観的な文ではないことになります。
どこが、どう大変なのかを客観視して書く必要があります。
3つめ
事実と意見を区別して書くことは、レポート教育の本質です。
- 書いたことが、事実なのか意見なのか?
- 事実ならば、どこにその証拠があるのか?
- 意見ならば誰の意見なのか?
- なぜそのような意見を持つにいたったのかの根拠や理由は何か?
こういったことを突き詰めていくことは、大学のみならず、福祉現場においても役立ちます。
時々現場にいるでしょう。
事実と意見を混同している人が・・・・・。
4つめ
「誤解されようがない文」を書くというのは、事実と意見を区別することも含みます。また各文において無駄な修飾語を多用しないことも含みます。
日本語は多義性のある言語ですので、解釈に幅のある修飾語の使用は最低限にとどめたほうがレポートとしては適切です。
「とても」「非常に」「かなり」といった言葉は人によって捉え方が異なります。
また、仕方なく修飾語を使うときでも、その置き位置に気をつけ、どの言葉に修飾語がかかっているのを、わかりやすいように書くと評価が高くなります。
以上が、社会福祉士のレポートを書く上での約束事です。
社会福祉士になるために、なんでこんな約束事があるのか?という意見はあると思いますが、こうした約束事は、一般大学のレポート教育に通じるものでもあります。
社会福祉士の養成が大学レベルでの教育を想定している以上、今後もレポート教育の重要性がなくなることはありません。
日本の学校教育では、大学に入るまでは、自分のことを中心にして書く「作文」の方になじみがあるので、これを機に、大学でのレポート教育の重要性を見直してみてはいかがでしょうか?
きっと、後々、福祉現場においても役立つことでしょう。
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