意思疎通できない障害者は不幸しかもたらさないのか?
「意思疎通できない障害者は不幸しかもたらさない」
相模原市の津久井やまゆり園で、重度の知的障害者19人を殺害し、27人が重軽傷を負った事件を引き起こした植松聖被告の言葉です。
この事件について、今夜、NHKスペシャルとして特番を放送していました。
植松被告は、拘置所の中でも未だ、このゆがんだ正義感ともいうべき主張を変えていないようです。
意思疎通のとれない人間を「心失者」と呼び、
その心失者たる存在は「人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在だ」とする主張をしています。
この主張は、もちろん間違っています。
議論の余地がないし、この主張がなんであれ、大量殺人の正当な理由にはなりません。
しかし、植松被告自身、このゆがんだ主張を変える気はなさそうです。
このままだと、彼は死刑になる可能性が高い・・・・・・
もしかしたら、それを望んでいるのかもしれません。
さもなくば、彼の主張が理解できません。
植松被告自身が、まさに不幸しかもたらさない存在になってしまったのではないでしょうか?
私は、10年以上、障害者の通所施設に支援員として勤務しています。
これまで多くの障害者と関わってきました。
意思疎通の難しい人が多く、これまで関わっていてストレスを感じることは、正直ありました。
何年この仕事をしていても、
「なんで言ってもわからないのだろう」
と思うことがあります。
あるとき、利用者自身の親が亡くなっているのに、外面的には何一ついつもと変わらない様子を見て、
「この人に悲しいという気持ちはないのかな?」
と素朴に感じたこともありました。
それこそ、
「心がないんじゃないのかな?」
との思いが頭をよぎった瞬間です。
経験が足りないですね。
反省です。
実は、私の職場の事務机には、昔研修を受けたときにもらったA4の資料が一枚入っています。
その資料には、こんなことがかかれています。
- どの利用者にも一人ひとり心がある
- 支援者のあなたに心があるのと同じである
- だから心を見て支援をすることだ
今その資料が手元にないので、言い回しとか正確ではありませんが、こんな感じのことが書いてあったと記憶しています。
私は、時々、引き出しに入っている、その資料を見て支援の仕事に取り組んでいます。
しかしながら、障害者の支援員というのは、きれいごとだけではなく、障害を持つことの意味を考えさせられる職業です。
でも、仕事ですので、何があっても支援員として、すべきことをするしかないのです。
障害者が社会にとって、生産性があるとか、ないとかということは考えていません。
そんなことを言い出したら、障害者の支援をしている福祉職も生産性がないということになります。
福祉の仕事は、誇れる仕事です。
ただ、社会の中で生きていくことの矛盾や苦痛、人間の本性を考えさせられる職業なのが大変なところです。
施設の元職員だった植松被告は、そういう福祉施設の職員だったからこそ、自身の弱さに負けてしまい、不幸な考えにとらわれてしまったのかもしれません。
後日、職場の私の机の中から研修の資料をコピーしてきたので画像を掲載しておきます。
ドロシー・ロー・ノルト博士『子どもが育つ魔法の言葉』シリーズに書かれていた文言をアレンジしたもののようです。