社会福祉士レポート実例(カウンセリング演習-設題1)

社会福祉士のレポート作成にお悩みの方へ

実際のレポート作成例をここに提示します。
 心理学系の科目を履修していたのは、社会福祉士の課程と同時に、認定心理士のコースをとっていたからですが、当時は資格取得のために履修していただけで、その必要性は、あまり感じませんでした。
 最近では、養子縁組あっせん事業者の不正問題で、社会福祉士のカウンセリングについての認識がクローズアップされましたが、これからは社会福祉士の業務をより、専門的にしていくためにも、カウンセリングの技術はあってしかるべきでしょう。
大学での履修は、そのための第一歩です。


ポイント(学習ガイドより)

 助言指導・職業指導から始まったカウンセリングの歴史を概観し、その課題に迫ること。また、カウンセリングは、どうあるべきかを考え、それはどういった訓練から作られていくのかを考察すること。

科目概要(学習ガイドより)

 カウンセリングの理論は、医療、社会福祉、教育などの現場で幅広く活用・実践されている。そこで、カウンセリングとはどのようなものなのか、そしてカウンセリングに必要な技法や態度、心構えとはどのようなものか、基礎から学習していく。また、カウンセリングは比較的新しい学問領域であるため、いくつもの理論が存在しているが、その中でも基礎となる、精神分析、来談者中心療法、行動療法(認知行動療法)の三つを中心に学習していく。

設題1

「カウンセリングの歴史と課題について述べ、これからのカウンセラーに必要な資質とは何か述べなさい。」

 カウンセリングは、社会の様々な分野で幅広く活用されているにも関わらず、我々の多くは、カウンセリングというものを漠然ととらえている感がある。したがって本設題では、設題に沿って、カウンセリングの歴史的な概観から、カウンセリングの課題とカウンセラーに必要な資質についての考察を中心に述べていく。

1 .カウンセリングの歴史
 カウンセラーやカウンセリングという用語は、1909年にアメリカのフランク・パースンズが、その著書『一つの職業の選択』の中で用いたのが最初とされる。当初のカウンセリングは、職業指導運動から始まった。「職業」と指導対象である「個人」の能力や適性を分析し、個人を適材適所の職業に配置するという、職業指導を中心とした行為がカウンセリングとされていた。
 しかし第一次世界大戦以降、カウンセリングは、戦争という特殊な事情の中で急速に発達するようになる。戦争に勝つためには、人間をいかに有効に活用するかが問われるので、専門的心理テストなど、人間を測定する技術が発達する。例えば、ある人物の知能を測定し、その人間がどの部隊に向いているかや、スパイとしての素質はあるかといったことが、多くの心理学者の動員によって行われたのである。
 戦争によって開発された多くのカウンセリングに関する技術は、やがて教育の世界にも導入されるようになる。生徒の能力やパーソナリティーが測定され、職業指導の中でも個人の分析の面に活用された。
 総じて 1900年代前半は、カウンセラーがクライエントを、科学的に診断・分析し、指導するという、いわばカウンセラー主導型のカウンセリングが主流であった。
 こうした、カウンセリングの在り方に疑問を投げかけたのが「ロジャーズ」である。それまでの指示的なカウンセリングではなく、カウンセラーが、クライエントを暖かく受容し、共感的理解をもって対応する非指示的カウンセリングの理論を提唱した(後にクライエント中心カウンセリングと改称)。クライエントには、そもそも問題を解決する力が備わっており、カウンセラーは、クライエント自らの力を引き出す役割を担うのがカウンセリングであるとしたのである。このロジャーズの理論は現在に至っても、なおカウンセリング理論に大きな影響を及ぼしている。

2.カウンセリングの課題
 歴史から浮かび上がってくるカウンセリングの課題の一つは「カウンセリングの不完全さ」である。カウンセリングとは、主に言語的、非言語的コミュニケーションを通して、クライエントとリアルタイムで展開する過程である。しかし、コミュニケーションの手段である言語は、不完全な性質をもつ道具である。単語の意味の捉え方一つとっても、人によって大きな差がある。また、非言語的コミュニケーションにしても、統一された基準があるわけではなく、言語と同様に不完全なものである。
 それでも社会が、昔のように戦争という大きな流れの中にあるならば、人々の生き方における選択肢は限られるから、カウンセラー主導の不完全なカウンセリングであっても、それなりに功を奏するのかもしれない。
 しかし、今や民主的な考え方が世界的に広がり、社会が複雑化し、価値観が多様化している中で、従来のカウンセリングの不完全さが、より強く認識されるのは自然の成り行きである。ロジャーズのクライアント中心の理論が支持されることの背景の一つもここにあると考えられる。
 そしてカウンセリングのもう一つの課題は、カウンセラーの養成の在り方にある。カウンセリングは不完全で、完全無欠の理論や技術がないとすれば、カウンセラーをどのように養成するかが課題となる。現在、アメリカでカウンセラーの資格を取得するには、大学院での専門的教育が要件とされている(日本でも臨床心理士の資格を取得するには同様の教育が必要)が、同じアメリカでは、カウンセラーとしての力量と、その人が受けた訓練のレベルの間には相関関係がないとする研究が報告されている。例えば、専門的訓練を受けたカウンセラーと、訓練を受けていない大学教員の 2グループの間のクライエントに対する治療効果を検証した「バンダ―ビルト・ワン・プロジェクト」という研究報告がある。こうした研究は、カウンセリングの専門的教育・訓練には効果がないことを証明するものであり、多大な時間と経済的コストが必要とされる大学院に行ってまで、カウンセラーの養成を行うことに、どこまで必要性があるのか疑問を生じさせる。

3.カウンセラーに必要な資質(まとめ)
 以上のことを踏まえて、これからのカウンセリングはどうあるべきかを考えると、およそ次のようになる。それは、まずカウンセリングの不完全さを補うために、特定の議論に固執せず、ロジャーズのクライエント中心療法、フロイトの精神分析など、一長一短を持つそれぞれの多様な理論をケース・バイケースで適切に応用していくことである。
 ところが、あらゆる理論を応用しても完全無欠なカウンセリングは、やはりあり得ないのだから、その部分を補う必要がある。実は、そこにカウンセラーの資質的要素が関与してくる。つまりカウンセリングの持つ不完全さを、カウンセラーの資質的な部分によって補うという考え方である。一般的にカウンセラーに必要とされる資質といえば、①敏感な感受性がある、②適切な表現力がある、③人を裁かずに過ちに寛大である、④人の話をじっくり聴ける、⑤倫理感がある、といった要素が挙げられる。
 しかし、これらの文言は間違いではないが、表現として生温い感がある。現実に求められるこれからのカウンセラーとしての資質は、もっと強力なものである。思うに、それは一生カウンセリングに取り組んでいこうという強い意志と動機づけがあること、強固な倫理観に基づいた自己統制力があることという、大枠に集約されるものであるといえよう。
 そのための訓練としては、カウンセリングの各理論、各心理学に精通するための学問的研究への精進、さらには、それらを応用する力をつけるための、エンカウンター・グループ、スーパービジョンなどの訓練がある。しかし、ここで強調したいのは、こうした訓練が、数年間に済むものではなく、長期にわたって継続的に行われる必要があることである。カウンセラーたるものは、自らの専門性を高めるためには、常に訓練を続けていく姿勢が必要であり、その努力を惜しむ人はカウンセラーには不向きであるといえる。
 カウンセリングは、カウンセラーに必要な資質が備わることで、その不完全な部分が充足され、初めてクライエントにとって有意な技術となる得る。そのように考えることで、カウンセラーの養成における大学院での専門的教育の必要性も理解できるようになる。つまり、大学院をカウンセラーとしての資質を高めるための訓練の場と捉えれば、大学院での教育課程は、むしろ短いくらいであり、心理学を学問的基礎に持つカウンセリングの専門職として、最低限必要な課程であると解釈できる。大学院という高いハードルを超える過程と、その後の継続的な研鑽によってこそ、カウンセラーとして必要な資質は、養成されるという訳である。


【参考文献】

  • 金沢吉展『カウンセラー 専門家としての条件』誠心書房、1998年
  • 國分康孝『カウンセリング心理学入門』PHP研究所 1998年
  • 平木典子『新版カウンセリングの話』朝日新聞社 2004年
  • 水島恵一、岡堂哲雄、田畑治『カウンセリングを学ぶ〔新版〕』有斐閣 2002年

評価票



■■書き手の価値観を問うような設題で注意すること■■

「カウンセリングは、どうあるべきかを考え、これからのカウンセラーに必要な資質を述べよ」


この手の設題は、価値観を問うているようで、ちょっと難しいです。


というのも「資質」という言葉は本来、

生まれつきの性質や才能。資性。天性。

という意味があります。


でも、生まれつき、カウンセラーの資質を具えている人は、いないですよね。


そんな才能があるとしても、生まれたばかりでは分からないです。
でも、学習ガイドにおいては、そこは触れられていません。


それは、指定教科書を読むことによって、この意味が分かるようになっていました。

水島恵一、岡堂哲雄、田畑治『カウンセリングを学ぶ』有斐閣 2002年

この本です。


つまり、


カウンセラーになるための努力をすることができる人には、その資質があるといえる


ということになります。


努力や訓練・学習ができない人は、資質がないという言い方もできます。


ということは、カウンセラーになるためには、努力をすることが必須であるという前提があることに気付きます。


レポート文末に表記した参考文献を読みましたが、同様のことが書かれていました。


少なくとも、心理学の知識を習得したり、カウンセリングの技術を得るには訓練が必要だということは言えます。


この科目は、一見自由に記述していけそうな気がしますが、学習ガイドや科目概要をよく読むと、実は書くことが限定されています。


カウンセラーには、訓練が必要という前提がそうですし、精神分析、来談者中心療法、行動療法を中心に学習させることも、レポートを書く上での自由度のなさを示しています。


そのうえで、書き手の価値観を書くというところが、このレポートの難しかったところです。

あと注意すべき点は以下の通りです。


この科目設題のように、学生側の価値観を訊ねているかのような設題では、熱く語ってしまいすぎたり、逆に冷たく切り捨ててしまうかのような極論を述べる学生がいますが、両極端な表現は、注意したいところです。

熱く語ってしまうというのは、例えば、

  • 「カウンセラーになるには、人の心の痛みが分かる人でなければならないんです」
  • 「だって傷ついた人を相手にするのがカウンセラーじゃないですか」

で終わってしまうような文です。

この場合、
「カウンセリングの技術は凶器になりうるので、人の心の痛みが分かって、なおかつ倫理観の強い人であることが必要だから」
という理由を添えれば冷静な言い方になります。

次に、冷たく、切り捨ててしまうような言い方としては、例えば、

  • 「カウンセラーに必要な資質は、生まれついて裕福な家庭で、愛情に恵まれた人でないと務まるはずがない」
  • 「愛情を受けて育っていない人には、愛情がないと考えるのが妥当である」

というような文です。


このように、バッサリ言い切ってしまって、「はい、それで終わり」では、その意見を下支えする、よほどの根拠がないと、教員の嫌悪感を招きかねません。


どちらが正しいかどうかは別としてです。


何も、教員に気に入られましょうと勧めている訳ではありません。

偏った意見を言い放って、それを補う根拠がないとなると、科学的レポートを好む教員の誤解を招いてしまうので、結果として低評価の印を押されてしまうのは避けましょうということです。

それでも「どうしてもこれだけはいいたいことがある」というのであれば、自分の意見を述べた後で、反対の意見もあるという形で、反論にも敬意を払った一文を添えておきましょう。


例えば、


「Aという意見があるのは、率直に言って認めざるを得ない側面がある。その理由は、○○である。しかし、Bという一般的に受け入れられやすい意見があることも当然にうなずける。」


このように書くと、バランスのとれた表現になります。


参考にしてみてください。



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