社会福祉士レポートアーカイブ(ボランティア論-設題1)

過去レポート保存庫

ボランティア論は、特に社会福祉士の指定科目ということではありませんが、福祉系大学1年次の一般教養科目の一つとして履修することの多い科目です。そのため、難しい専門用語を問われることはなく、とっつきやすい内容であることが多くなっています。


福祉の実務経験がないという人でも、ボランティア活動をしたことがある人は多いと思います。
そうした経験を活かして、オリジナル感あふれるレポートを書くことができるでしょう。


ボランティアをしたことがないという場合は、ニュースなどから情報を得て、実例を引用しても構いません。
最近では、熊本で地震が発生し、多くのボランティアが活躍したことは記憶に新しいところです。
ニュースや実例を探せば、豊富にみつけられるのが「ボランティア論」の特徴です。

学習のポイント(学習ガイドより)

 ボランティア活動の歴史的展開についても触れ、ボランタリズムを支える自発性に加え自由性についても考察すること。また、現代社会においてNPOが担う役割、意義を明確にしながら、自己の体験や考えについて述べること。なお、テキストの丸写しや、単なる感想文にならないように注意すること。

科目概要(学習ガイドより)

「何か自分たちにもできることがあるに違いない」、「他者や社会の助けになりたい」という内的動機に支えられた活動は、そのための準備、トレーニング、実践体験の裏付けが必要である。ボランティアについての基礎理論を学習した上で、現場でのニーズの把握、適切な組織構成などの実践理論を、様々な過去のボランティア活動例(災害援助活動、国際交流、社会福祉活動等)を基に学習する。また、ボランティア活動を実際に体験し、その経験をもとに、より効果的なボランティア活動を行うために必要なことを考察していく。

設題1

「ボランティア活動の自発性とボランティア活動を推進するNPOの関係について述べなさい。」

 ボランティアとは、一般的に、福祉・保健・医療・教育文化・災害などの生活上の諸問題を、無報酬で、自由意志により、自発的・自主的に援助活動に従事する人たちのことをいう。ただし、ボランティアという言葉が日本語に定着してから間もないこともあり、その定義は、未だ明確ではないか、ボランティアに関する、様々な文献に共通するキーワードは存在する。それは「自発性」「自由性」「無償性」の3つである。そこで、本設題ではボランティアという言葉を「自発的意思に基づき社会活動を行う者」「無償で、社会に関わる自発的意思を持った人々」と定義し、ボランティア活動の自発性とボランティア活動を推進するNPOの関係について述べることにする。

 ボランティア活動は、自発的意思に基づくものであっても、何もないところに発生することはない。ボランティア活動が発生するには、必ず社会に何らかのニーズが存在しており、かつ社会の制度や仕組みが、そのニーズに応えられない状態において、ボランティア活動は発生するのである。そこで、まずアメリカと日本のボランティア活動の歴史的展開から、ボランティアの「自発性」について考察してみる。
 アメリカは、歴史的に見てボランティアによって誕生した国であるといえる。そもそもアメリカにおけるボランティアは、深く理想主義と結びついている。新天地を求めてヨーロッパからアメリカへ渡った人々の間では、最初からボランティアが重要な役割を果たしていた。神の正義を実現できる新しい社会を築くために、人々は自発的に行動し、自分たちのニーズを満たそうとした。このように、アメリカという国はボランティアなしには成立し得なかったし、存続できなかった訳である。またアメリカは、常に人種問題を核とする様々な社会病理をはらんできた。先住民に助けられて生活を始めた白人は、理想国家を造るために先住民を迫害し、アフリカから黒人を奴隷として連れてきて、人権を奪い、労働を搾取した。移民の間には人種や民族、出身地をもとに細やかなランク付けがなされた。アメリカではこの矛盾を今でも引きずっている。人種問題は教育問題、貧困・犯罪・病気とからみあって悪循環を引き起こしている。理想主義に発するアメリカのボランティアは、こうした社会の病理と向き合い、それを解決することを使命と感じており、そこにアメリカにおけるボランティアの特徴があるといえる。

 一方、アメリカに比べてボランティア活動が遅れているとされる日本も、「社会奉仕」「社会貢献」「慈善活動」というように、昔からボランティア活動は存在していた。
 例えば、江戸時代における江戸の町火消しである。彼らの本職は、とび職であるが、ひとたび火事が発生すると、少しでも被害を食い止めるために、火がどこまで回っているかを、身をもって知らしめた。もちろん火消したちは、金銭の報酬を得てはいない。これも立派なボランティア活動である。
 しかし、日本で現在的な意味のボランティア活動への関心が、本格的に高まり始めたのは、1990年代である。それは、1993年、国連ボランティアとして、カンボジアで選挙監視活動に参加していた中田厚仁氏が射殺されたというニュースが、マスコミで取り上げられたり、1994年に、NHKが「週刊ボランティア」という番組をスタートさせたりしたことから伺える。
 しかし、この時点でのボランティアに対する関心は、ごく一部の人に限られていた。現在のように、ボランティア活動が広く一般に認知されるようになったのは、何といっても1995年の阪神淡路大震災がきっかけである。この年はボランティア元年と呼ばれ、ボランティアの思想の意義と奥行に、国民が目覚めた年である。

 このように、個人の自発性によって支えられているボランティア活動の自発性は、社会にニーズがあり、かつ社会の制度や仕組みがそのニーズに応えられない状況をもって、個人に影響を与え、引き出されるものである。
 次に、ボランティア活動の自由性についてだが、これはボランティア活動が報酬を得ないという特性に端を発していると考えられる。
 例えば、営利を目的にしている企業に勤めている場合、金銭による報酬が、動機付けになっいることが多く、自分の意に反することがあっても、簡単に退職することはない。ところが非営利団体の場合、嫌になったら止めることは可能だし、また、本当に自分のしたい活動だけを選ぶことができる。
 つまり、ボランティア活動をするにあたり、金銭的な動機づけから解放されているところから「自由性」が存在しているということである。ボランティアは報酬のない活動であり、生活を犠牲にしてまで活動することはできない。だからこそ、生活に支障の無い程度にボランティア活動をする「自由性」が必要になってくるのである。

 以上が、ボランティア活動の自発性・自由性についての考察であるが、次はボランティア活動を推進するNPOとの関係について言及する。つまり、それは「NPO法」である。
 従来のボランティア団体は、ほとんどが任意団体であり、社会的な権利を有していなかった。
 例えば、⑴法人格がないので、事務所や電話を契約する主体になれない、⑵財産を持つことができないなどである。
 ところが、阪神淡路大震災の時に、ボランティアが大活躍すると、その必要性が認められ、ボランティア活動が社会利益・公益にとって有効な役割を果たすことが明確になり、ボランティア活動の組織化と、それを支援する法整備の必要性が叫ばれるようになった。そして、国会議員を中心としてNPO法制定の機運が高まり、1998(平成10)年「特定非営利活動促進法」(平成10年法律第7号)が成立し、同年施行されたことで、市民団体・ボランティア団体が、法人格を獲得できる法的根拠ができた。

 結果的に、NPO法が必要であるという、かねてからの社会的なニーズが、人々の自発性に働きかけ、阪神淡路大震災をきっかけとして、ボランティア活動が発生し、NPO法制定につながった。換言すると「ボランティアで構成されるNPOがボランティア活動した結果、NPO法をつくり、またNPO法がボランティアを支えるという関係が成立した」ということできる。
 今後、社会が益々複雑化し、ニーズが多様化することで、NPOの役割は増加していくと考えられる。とりわけ保健・福祉・医療の分野では、国の制度で対応できない部分をボランティアが担うことに重要な意義がある。

【参考文献】

  • 星野貞一郎『社会福祉原論』有斐閣 2002年
  • ボランティア・ワークショップ『ボランティアブック』ブロンズ新社 1994年
  • 吹浦忠正『海外ボランティア入門』自由国民社 1994年
  • ミネルヴァ書房編集部『社会福祉小六法』ミネルヴァ書房編集部 2002年



■■社会福祉士の専門性はボランティア精神にある■■

ウェブ上の投稿サイトに、こんな書き込みを見つけました。

社会福祉士の専門性はボランティア精神にある

これは、社会福祉士という資格に専門性がなく、資格取得費用がかかる割には、報酬が少ないことに対する皮肉で書きこまれたコメントです。

正直、最初にこれを読んだときは、苦笑いでした。

でも、ボランティアについてよく調べてみると、あながち皮肉でもないと感じます。

実際、今回のレポートを読んでいただくと分かりますが、ボランティアは、「自発性」「自由性」「無償性」に基づいた社会活動をする人のことを意味します。

このうち、無償性についてはさておき、自発性と自由性に基づいて社会問題に関わっていく姿勢は、社会福祉士として理想的な姿だと思うんですよ


大事なことは、

自由なので好きな活動ができる

という部分です。

これが大きいです。

ただし、自らの専門職としての倫理観には縛られます。

なので、好きな活動をするといっても、好き勝手な行動をする訳ではありません。

もうひとついえることは、

組織のしがらみに縛られていては、災害のような突発的環境下でソーシャルワークを展開することは難しいということ。

介護保険制度や生活保護制度のように、決められた枠組みや制度の中で援助を展開しているだけでは、それは生活相談員とか、ケアマネとか、ケースワーカーといった職業的役割をこなしているだけにすぎません。

自発的に自由に活動できるボランティア精神を持っていることは、社会福祉士にとっての奥義ともいえる専門性かもしれないのです。

後は、この専門性はをどうやって報酬に変えていくかが課題になるのですが、ボランティア論から話が反れるので、また別のところでお話することにしましょう。

今回のレポート添削について

今回のレポートは、いろいろ添削コメントがなされてはいますが、結果的には高い評価を与えてくれているのが分かります。

先に述べたように「ボランティア論」は大学1年次に履修する科目であることや、ボランティア論を担当する教員の採点基準によって、寛容的な基準により、A評価を得られました。

まったく同じレポートを出しても、教員の採点基準によって評価が変わってしまうのが大学のレポートの困ったところです。

ちなみに私の主観ですが、ボランティア論を専門とする教員の場合、総じて評価基準は「努力評価型」です。

つまり、


コピペしないで、教科書や参考文献を読んで、努力して書いたことが伝わるレポートであれば、細かいことには寛容に評価する

というタイプの基準です。

このタイプの教員は、学生にとってもありがたい存在ですので、学生としてもできるだけ努力してレポートを書くことに努めることがマナーですし、結局は高評価のレポートを量産する道に繋がります。

ボランティア論1

ボランティア論2

ボランティア論3

ボランティア論4

添削文を読むと分かりますが、学生の書いたレポートをちゃんと読んでくれているということが見てとれます。

中には、ほんとにレポートを読んだのかわからないような添削をする人もいますからね。

学生としては、高評価が得られればそれでいいと思いがちですが、せっかく書いたレポートなので一読はしてほしいと願うばかりですね。



スポンサーリンク




コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

このページの先頭へ