社会福祉士レポート実例(数学-設題1)

社会福祉士のレポート作成にお悩みの方へ

実際のレポート作成例をここに提示します。


社会福祉士を養成する大学で「数学」を勉強するというのは意外に思うかも知れません。


内容的には、微分積分や統計などの計算問題を解くようなものではなく、文系レベルの内容です。
そのことは、以下の科目概要にも明記されています。

指定教科書も『数学外論』という名称の本で、『数学概論』ではありませんでした。
教科書の内容は、t検定のことが出てくるわけでもなく、一部数式がみられましたが、レポートの設題とは直接には関係なしです。

実際、私は当レポートを書くのに指定教科書はほとんど使用しませんでした。
福祉系大学の科目群としては、かなり異色の科目ですが、
論理的思考力を鍛えるという意味では、役に立ちましたし、個人的にも好きな科目でした。

ポイント(学習ガイドより)

「数学」という学問は、その有効性や応用性について私達の実生活の上に欠くことの出来ない非常に大切な学問であるという意見がある一方、「数学」の勉強は中学生や高校生の大学等への受験生を苦しめる事のみ多くて実生活にはほとんど役立たないという意見もある。そのどちら側の意見にも耳を傾けて聞くべき論点はあると思うが、あなたの意見は如何なるものか、あなたなりの結論を出しなさい。

科目概要(学習ガイドより)

 私たちの日常生活に直接、間接的に深く関わり合いのある「数」と「数字」の発展の歴史から始まり、数の概念の拡張、自然数、整数、有理数、無理数、実数、複素数の理論とそれらの応用について学習する。特に本科目の履修については、多くの学生が、文科系や社会科学系の専攻生であることに留意して、微分積分等を含む高度な数学テクニックは必要としない学習をする。
*数学が得意な学生ならば、単に教科書を読むことで一応レポートは書けるけれども、より良いレポートを書くことや科目修了試験受験にあたっては、まず始めに「数学」のスクーリングを受講しておくことが望ましい。
「数学」のスクーリングにおいては、レポートの書き方や科目修了試験設題の重要な問題点等についても言及する予定である。

設題1

「我々の文化に対しての「数学」の重要性について述べなさい。」


「文化」という言葉を広辞苑で調べると、「世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。」といった意味が引き出される。
 文化という言葉がこのような意味であるとした場合、数学の重要性がそこにどう関わってくるのかについて疑問に感じた。
当レポートでは、我々の文化における「数学」の重要性につしいて、肯定論と否定論の意見を交えながら、自分なりの結論を述べる。

1.数学肯定論
 我々の文化を支えている要素の一つは、コンピュータ、家電製品、自動車、航空機といった文明の利器である。数学は、これら文明の利器を創り出すために必要な科学技術の基礎という意味で重要であると考えられる。平たく言えば「計算機を開発する人には計算力が必要とされる」ということである。
 そして文化を支え、発展させるために数学が重要な役割を果たしているという理論は、多くの人達が提唱していることでもある。
 例えば、数学に関する多数の著書を出している和田秀樹氏は、『仕事力がつく!数学アタマのつくり方』という著書の中で、数学のトレーニングを積み重ねている人は、数学的な考え方が頭に染みついており、大人が仕事をするうえで必要な「発想力」まで身に付けることができるとしている。その発想力について和田氏は次のように述べている。

 数学的な発想というのは、まず仮設を立てる。そして、いろいろと試し、検証する。ある解法パターンで問題を解いてみる。できなければ別の解法パターンで試みる。

 つまり和田氏は、数学という学問が、人間の思考力を鍛えるのに役立ち、それを実社会の問題に応用できるのだと説いている。
 また、和田氏と同様に、数学的思考力を肯定する小林道正氏は、『「数学的発想」勉強法』という著書の中で「頭がいい」というための条件として「物事の本質を見抜く力がある」という点を強調して述べている。
 一般的に頭がいいという場合、より多くの知識を保持しているという意味で用いられることが多いが、小林氏の述べる「頭がいい」という状態とは、多くの知識を保持しているだけではなく、考える力があるということを意味している。
 数学に必要とされる力は、まさに考える力である。数学によって抽象的理論を構築して、もっと難しいものへと応用していく発想を鍛えることが可能となるのである。
 実際、数学の成績が優秀な学生の多くは、他の教科の成績もよい傾向にあるといわれている。それは、政治学・経済学などでは統計や確率の理論がしばしば用いられ、数学が他の社会科学や人文科学と深く関連していることからも推測できる。

2.数学否定論
 しかしながら「数学は、実生活には役に立たない。受験生を苦しめることが多い」と説く意見が存在するのもまた事実である。
 そこで、我々の文化における数学の重要性を否定する意見について、身の回りで見聞きした意見を要約したので以下に述べる。

 

 社会に出てから必要とされる数学の知識は、せいぜい小・中学校レベルのものである。方程式一つ満足に解けなくても日常生活に困ることは少ない。難しい理論や計算は、インターネットや計算機などを使えば事足りる。科学者や大学の教授にでもなるならいざ知らず、特別に数学を必要とする職業に就かない者にとって、数学を学ぶことの意義は少ない。むしろ。就こうとする職業に直接必要な知識や技術を身に付けた方が得策(例えば、貿易の仕事をしている人が英語を身に付けるなど)である。

 

 こうした意見は、方程式・因数分解といった数学の直接的な理論を用いる場面が、日常生活に照らし合わせてみて圧倒的に少ないことから出ているものと考えられる。
 総じて、必要な知識や技術があればよいという考えが、数学否定論者の大まかな意見である。そこには、数学に対する苦手意識が少なからず作用しているように思われるが、世の中には、数学ができなくても成功している人はいるし、文化人といわれている人の中にも数学の苦手な人がいることも確かである。したがって、数学さえ出来ればいとは言い切れない側面があるといえる。

3.まとめ(結論)
 さて、ここまで論じたうえで、我々の文化における数学の重要性について、自らの結論出す。
 その際に重視したのは、まず文化というものは、人間が創り出すものであり、文化を創り出す原動力は考える力、つまり思考力であるということである。
 このような前提に立てば、数学が思考力を鍛えるのに有効な学問である以上、われわれの文化において数学は極めて重要な学問であると言って差し支えない。
 現在、我々は、電車に乗る、自動車を運転する、銀行のキャッシュディスペンサーを使うというように、色々なものを使うときに、水道から水が出るがごとく当たり前にそれらを使っているが、実際、これらのシステムは人間の思考力の集積が創りあげた、とてつもない精緻なシステムの中で初めて成り立っているものばかりであることを認識する必要がある。
 したがって人間にはどういう思考力があって、どういうシステムを創る力があるかということが分からないままでいると、自分がどういう下駄を履いているのかも分からなかったり、その下駄を創るために必要な好奇心や、構築力が持てない人間ばかりが社会に増えてしまうことになる。
 世の中の総べての人間が数学をしなければならないとは言えないが、少なくとも数学的思考力があることが望まれる。
 極端に言えば、数学ができなくても、思考力を鍛える過程(問題に対して試行錯誤すること)があればよい。しかし、それには数学が最も効率的な学問であることも事実である。だから、我々の文化において数学は重要なのである。このまま大多数の人達に数学的思考力がなくなっていくならば、我々の文化は次第に衰退していく可能性がある。情報化社会、便利な社会になったことで、人々がますます考えなくなってしまったという有様では、今後の文化の発展は望めない。
 楽をして結果を得ることに慣れてしまった我々の多くは、地道な訓練を要する数学を嫌う傾向にある。現在、大学生の学力低下が指摘されているが、それは社会人も同様である。考える力が低下しているのである。これ以上、文化を衰退させないためには、受験生に受験のためだけの暗記数学をさせたり、あるいは逆に数学を受験しなくても経済学部に入れたりするような大学教育の矛盾を改革することも一案といえるだろう。


【参考文献】

  1. 小林道正『「数学的発想」勉強法』実業之日本社 1997年
  2. 左巻健男『「理数力」崩壊』日本実業出版社 2001年
  3. 中島恒雄編『保育児童福祉要説』中央法規 2004年
  4. 新村出編『広辞苑第五版 電子ブック版』岩波書店 1999年
  5. 和田秀樹『仕事力がつく!数学アタマのつくり方』日本実業出版社 2002年



■■文系の学生SAMを高く評価してくれた恩師をご紹介■■

当科目「数学」は、当初SR科目(スクーリングとレポート提出と科目修了試験がある科目)でしたが、
2004年当時、あまりの不人気さによって、のちにスクーリングが廃止され、R履修科目(レポートと科目修了試験のみ)となった経緯があります。

担当は、佐藤大八郎さんという、理系の学位をもっている先生で、数学をとても愛好されている教授でした。
熱意を持った先生には、影響を受けるもので、以後私は数学の重要性を感じ、履修に至ることになります。

佐藤先生との出会いは、他の科目のスクーリングの時でした。
情報処理の科目を担当していた佐藤先生は、数学のスクーリングへの参加をしきりに学生へ勧めていました。

このページ上部の「科目概要(学習ガイドより)」のところに書いてあるように、当科目はスクーリングを最初に受講することが推奨されていました。

通常、スクーリングは事前予約が必要ですが、特別に予約なしても受けられるように手配するとの配慮までするというのです。

その時、「行こうかな」と一瞬思いましたが、誰も手を上げない周囲の空気に流されてしまって、結局、数学のスクーリングぱ参加せずでした。

いまとなっては「参加すればよかったな」と後悔しています。
何事も一期一会ですからね。

佐藤先生は、海外の大学で学位を修め、教授を務めるなど、経験豊富な先生でした。

当時のスクーリングの資料によると、佐藤先生は、現在85歳です。
おそらくもう教育の現場からは退かれていると思います。

このスクーリングでの一件が頭に残っていていたことから、私は、のちに数学をR履修することになるのですが、上記のレポートを添削してくれたのが、やはり佐藤先生でした。

佐藤先生は私のつたないレポートを非常に高く評価してくださいました。

数学評価票

ちょっと、なぐり書きのようにみえますが、こんな感じで評価していただいています。

この先生は、ほめて人を伸ばすタイプだと思いました。
でも、学生としては、とてもうれしかったのを思い出します。
ささいなことを突っついて減点するような教員よりも、よほど学生に良い影響を与える先生です。

レポートに書かれた「good」の文字

数学評価1

数学評価2

数学評価3

このようなことがあって、
以後、数学に対する敬意を持つ佐藤先生の影響を受け、私自身も数学に敬意をもつようになり、物事を思考する際には、数字で考えることを重視するようになっていきました。

実は、最近になって、私は、株式投資に興味をもったり、企業の決算書を読むようになったのですが、これも佐藤先生の影響かもしれません。

大学というところは、単に専門科目を修めるだけではなく、広く学問に触れることができる点がすばらしいところです。
資格の指定科目だけを、ひたらす履修することもあるでしょうが、機会があれば福祉以外の科目に触れてみることをお勧めします。

きっと「自分は意外な科目が好きなのだな」ということを発見すると思いますよ。

ちなみに、改定以前の数学の設題は以下のようなものでした。

数学設題

数式がたくさんあります。
この設題は、難しいですね。

でも、佐藤先生なら、きっとかみ砕いて分かりやすく教えてくれたことと思います。



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