社会福祉士レポートアーカイブ(比較社会史-設題1)

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この科目を一言でいうと、明治以降の社会福祉の歴史を学ぶ科目ということになります。


以前の試験科目にあった「社会福祉原論」には、福祉の歴史的学習項目が結構ありました。


現在は、より実践的福祉を学ばせようということで、福祉の歴史を学ぶ機会は減る傾向にあります。


しかし、そもそも福祉とは何か?を考える上で、歴史を学ぶことは非常に有益ですので、大学で歴史科目がありましたら履修してみることをお勧めします。

学習のポイント(学習ガイドより)

 明治以降の社会の変化を踏まえて、児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉、公的扶助の観点から、日本の社会福祉の歩みを理解すること。

科目概要(学習ガイドより)

 各国の社会福祉の発展とその特色を、社会背景や文化の違いを踏まえながら歴史的に考察する。その際、例えば、政治、経済、社会、宗教、歴史、民族といった背景の違いが、各国の社会福祉の在り方にどのような影響を与えているかについて、比較考察し、社会福祉に対する国際的視野を広めることをめざす。

設題1

「日本の社会福祉の歩みについて述べなさい。」


 明治以降の、社会福祉の歩みを概観した後、公的扶助、児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉の観点から日本の社会福祉の変化を考察し、日本の社会福祉の歩みについて述べる。

1.近代国家の成立と救貧対策
 明治時代は、明治維新を始めとする改革と戦争、貧困の時代であった。国の再建が第一義的に考えられ、社会福祉の対策は現在とは比べようもないほど未整備だった。それでもスラム化した都市に溢れる貧困者に対して、政府は何らかの方策をとらざるを得ず、養育院や恤救規則といった救貧政策を実施するが、その実態は極めて選別主義的であり、不十分な内容であった。こうした背景には、当時の社会に「公費で貧民を救済することは惰民を増加させるだけで公費の無駄遣いである」という強い考えが根底にあったといえよう。こうした社会福祉の未整備が反って、石井十次や石井亮一などの慈善家・篤志家の活動を発展させるという側面もあったが、当時の貧困は深刻であり、もはや慈恵的な対応だけでは間に合わないことは明らかであった。

2.救護法から生活保護法へ
 恤救規則は、明治7年から昭和6年まで、実に約60年に渡って日本の救貧制度として存在していた。しかし、大正7年の「米騒動」、昭和4年の世界恐慌による大量の失業者・貧困者、労働争議の増加などの社会情勢によって、もはや恤救規則では、社会の貧困問題に対応できないということが明白となり、新たな救貧制度の確立が望まれた。それが「救護法」である。救護法は公的扶助義務が国にあることを初めて認めた点は評価できる。しかし依然として、要救護者の保護請求権を認めない限定的なものであることも事実だった。
 その後、日本が太平洋戦争に敗北し、GHQ(連合国軍総司令部)の間接統治下に置かれるようになると、GHQは日本に対して、非軍事化・民主化政策の推進を実施した。基本的人権の尊重、無差別平等を旨とする、新たな公的扶助の実施を日本政府に指導したのである。
 これを受けて、日本はようやく昭和21年には無差別平等を原則とする、生活保護(旧)を制定することになる。その後、昭和25年には、旧法の問題点を改善した、現行生活保護法が公布、施行されるに至っている。

3.福祉三法体制の確立
 GHQの間接統治下における、戦後の混乱した社会情勢の中での社会問題は、貧困以外にも多数存在していた。
 例えば、戦争で両親を亡くした孤児・浮浪児などが、飢えから非行や犯罪に手を染めるなど、児童に関する問題が多発していた。こうした問題に抜本的に対応するため、昭和22年には児童福祉法が制定されることになる。そこには「すべての児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」として、生活保護法と同様にGHQによる、非軍事化・民主化政策による基本的人権の尊重、無差別平等の理念を伺うことができる。
 また、児童福祉のみならず、戦争犠牲者である傷痍軍人・戦災障害者への対応も必要とされていた。当時大量に放置されていたこれらの人々に対する援助は急務であったが、傷痍軍人など、旧軍人に対して優先的に保護を行うことは、GHQの非軍事化・無差別平等の理念に反するとの懸念があり、GHQの政策を尊重した法律の制定を行ったのである。それが昭和24年制定の身体障害者福祉法である。この法律は、障害者に対する保護や恩恵・賠償ではなく、自立や更生を促すものであるところにその特徴がある。
 こうして、生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法は、GHQの間接統治下において成立し、福祉三法体制が確立する。

4.福祉六法体制の確立から八法改正へ
 昭和27年、サンフランスシスコ講和条約の発効によって、日本は主権を回復する。これ以降、日本は高度経済成長と高齢化の道を歩むことになる。日本の社会福祉は、経済成長に支えられ、それまで制度の谷間に落ちていた人々に対する新たな福祉制度が次々と立法化される。精神薄弱者福祉法、老人福祉法、母子福祉法が次々と制定され、先の福祉三法と併せて、福祉六法体制が確立する。
 昭和45年になると、日本は、いよいよ高齢化社会を迎え「福祉優先」「福祉充実」の声は益々高まり、社会保障関係費の予算額は上昇することになるが、オイルショックによって、日本の福祉は一転して低経済成長下での福祉の見直しを迫られることになる。その間も日本の高齢化は上昇を続けている。
 平成元年には、福祉関係三審議会合同企画分科会の意見具申によって、今後の社会福祉の在り方がまとめられた。これを受けて高齢者の保健福祉分野における基盤整備の長期的目標値を提示した「ゴールドプラン」が策定される。そしてゴールドプランを、より効果的に実施するために、老人福祉法、身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法、児童福祉法、母子及び寡婦福祉法、社会福祉事業法、老人保健法、社会福祉・医療事業団法の法律を改正した「八法改正」が行われた。その後も高齢社会に対する社会福祉の整備は続き、ゴールドプランの内容を増補させた、新ゴールドプラン、ゴールドブラン21の策定、社会福祉法の制定、介護保険制度の創設へと続き、現在に至っている。

5.社会福祉の変遷と方向性(総括)
 上記のように日本の社会福祉は歩んできた。戦前の日本は、天皇制絶対主義に基づく民主主義の抑圧という社会情勢の中で、社会福祉の発展は遅れてきた。しかし、戦後のアメリカによる日本の民主化を皮切りに、新憲法の成立、高度経済成長、国民の福祉を求める運動などによって、日本の社会福祉は本格的な発展と変化の兆しを見せるのである。
 戦前から戦後への社会福祉の変化を、公的扶助、児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉の4つの観点から述べると次のようになる。
 それは、①公的扶助の観点からは、貧困問題の原因・責任が個人に存在するという視点から、貧困を社会的な問題として捉えるという視点への転換、さらには、共同体による相互扶助の重視から、国家による最低限度の生活保障の視点へと変化している。②児童福祉の観点からは、児童を保護し、救済するという視点から、子供を健やかに産み育てる環境作りの重視という視点へと変化している。③障害者福祉の観点からは、医学的リハビリテーションであるADL(日常生活動作)の自立を重視する視点から、QOL(生活の質)を重視する視点へと変化している。④高齢者福祉の観点からは、福祉サービスの措置から利用制度への転換・普遍主義化、利用者本位、自立支援、施設保護・施設福祉から在宅福祉へと変化している、などである。
 こうした社会福祉の変化は、国民の求める「高福祉」に答えた結果であるが、オイルショック以降、低成長時代に入ると、現在に至るまで、社会福祉は、社会福祉・社会保障費の増大という問題に直面することになる。以後、少子高齢化問題と共に、日本の社会福祉は、国家が主体となって取り組む社会福祉から、国家・市町村、ボランティア、民間企業の市場的効率性が一体となって社会福祉に取り組むべきという「福祉ミックス論」の方向性へ進んできている。

参考文献

  1. 鈴木依子『社会福祉のあゆみ-日本編-』一橋出版 2000年
  2. 中島恒雄『社会福祉要説』ミネルヴァ書房 2001年
  3. 福祉士養成講座編集委員会『公的扶助論』中央法規出版 2002年
  4. 福祉士養成講座編集委員会『児童福祉論 第2版』中央法規出版 2003年
  5. 福祉士養成講座編集委員会『障害者福祉論』中央法規出版 2002年
  6. 福祉士養成講座編集委員会『老人福祉論 第2班』中央法規出版 2003年



■■以前に授業を受けたことのある先生にレポートを添削してもらいました■■


比較社会史のレポートを添削していただいた方は、学生の努力を評価してくれる優しい先生でした。

評価表

この科目は、R履修といって、スーリングのない科目でした。


名前は伏せていますが、この先生は、別の歴史科目である「近世の歴史と文化」という科目のスクーリング担当講師だったのを思い出しました。


授業のなかで、お話を伺っていて、


社会人学生の勉強に対する真面目さを非常に高く評価していた


のを思い出します。


私が、授業中、高校生が使う「日本史」の教科書を持ち込んで参照しているのを見て、


「その本は、分かり易くて非常にいい本ですよ」


と声をかけてくれたりしました。

  • 親に学費を払ってもらって、仕方なく通っている学生
  • 自分で学費を払って、意欲的に勉強している社会人学生

両者の授業の受け方は、まるで違います。


居眠りをしてる学生は皆無です。


みな教員の話をしっかりと聞いています。


この先生は、そういうところを非常に高く評価していました。


当然、このスクーリングはA評価でした。


今回の科目である比較社会史では、スクーリングはなかったので、先生に直接教えを乞うことはできませんでしたが、レポート通じて高評価を得ることができたのは、学生としてもうれしい限りだと思いました。


ちなみに、この先生は、単に評価の甘い先生ではありません。


レポートの原本を見ていただくと分かりますが、きちんと文章を読んでいるのが分かります。


評価はAとしながらも、しっかりと添削もしてくれています。

添削1

添削2

添削3

ろくにレポートを読まずに安易にB評価をつける教員もいる中、こういう先生は学生の能力を伸ばす教員だと思いました。



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